往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧

12  その2「禁足とは」(つづき)

「中学校令施行規則」(文部省令第三号)が施行された明治三十四年(一九○一)の生徒懲戒に関する文部省の調査では、懲戒を「譴責(けんせき)、謹慎、停学、放校、戒飭(かいちょく)其他」の五つに類別しています。 次の表は、明治三十四年度の懲戒生徒数…

曽根天満宮の梅見と高砂散策

あいにくと曇り空でしたが、2年ぶりに夫婦で高砂市の曽根天満宮に梅を見に行きました。我が家から車で1時間弱の道のりです。 まず、「曽根天満宮」の説明から。 この神社の創建年代については不詳であるが、社伝では延喜元年(901年)菅原道真が太宰府に左…

12 「一週間の禁足に」 その1「蒟蒻版が配布され」・「禁足とは」

午後は、先夜(せんや)おれに対して無礼(ぶれい)を働いた寄宿生の処分法についての会議だ。会議というものは生れて始めてだから頓(とん)と容子(ようす)が分らないが、職員が寄って、たかって自分勝手な説をたてて、それを校長が好い加減に纏(まと)…

コラム7  「兵式体操」

「兵式体操」というと、何か軍の学校で行われていた体操かと思われそうですが、「普通体操」とともに、教科としての「体操」の時間に行われていたのでした。 ちなみに、現在の「体育」という言葉も古くからありましたが、教科の名称となったのは、戦後のこと…

コラム6 「校友会の運動部活動」

現在では、「○○大学校友会」などと、同窓会組織をさすのが普通ですが、旧制の高等教育機関や中等教育機関では、生徒たちが全校的規模で参加して課外活動を行う組織を、「校友会」と称していました。 生徒及び教職員が会員となり、学校長が会長でした。また、…

11  その2「士族と平民」

いつ頃まで続いたのでしょうか。その昔、卒業証書には、「愛媛県士族」とか「東京府平民」などという風に、本籍だけでなく「族籍」も記入されていました。 また、教員の名簿等にも「族籍」の記されているものが多く見られます。 (山口県立徳山中学校 明治四…

11 「これでも元は旗本だ」 その1「ご先祖様は」

これでも元は旗本だ このままに済ましてはおれの顔にかかわる。江戸っ子は意気地(いくじ)がないといわれるのは残念だ。宿直をして鼻垂れ小僧にからかわれて、手のつけようがなくって、仕方がないから泣き寐入りにしたと思われちゃ一生の名折(なお)れだ。…

コラム5 「同盟休校(ストライキ)」

西洋では教師が生徒を放校にする。日本では、それと同じくらい生徒が教師を放校にする。(中略)(教師の)資質に欠けるものがあるとわかれば、いつでも革命的な運動が起きて学校から放逐される、ということがよくあるのだ。ラフカディオ・ハーン著、池田雅…

10  その4「寄宿舎と紛擾」

寄宿舎での騒動は、学校当局の頭を悩ませた大きな問題の一つでした。 広島高等師範学校(明治35年創設、広島大学教育学部の前身)では、教育学の教授で附属中学校の主事でもあった長谷川乙彦の指導の下、学生5名が委員会を組織し、明治四十年五月に全国の…

10  その3「中学校の寄宿舎」

明治二十四年(一八九一)、中学校令の一部が改正され、尋常中学校の設置条件が緩和されるまで、「一府県一校設置」の原則があったために、生徒は各府県下の広域から集まり、交通機関が未発達な当時にあっては、遠方の生徒たちは寄宿舎に入るか、下宿をする…

10  その2「中学校における学校紛擾」

「紛擾(ふんじょう)」とは聞き慣れない言葉ですが、辞書には「関係がもつれる。乱れもめる。ごたごた。」(『大修館現代漢和辞典』)とあります。 旧制中学校の沿革史を見ていくと、中には校長の交代が頻繁な学校があります。沿革史という性質上、その理由…

趣味あれこれ 落語会「あべのでじゃくったれ」

今月二回目、今年四回目の落語会は、ひいきの落語家・桂雀太さんが阿倍野の近鉄百貨店で開いている見出しの催し。 福知山線の新三田から天王寺まで一時間余り。家からは二時間弱でした。 平日の昼下がりですから、時間に余裕のある中高年の落語ファンがほと…

10 「バッタとイナゴは違うぞなもし」 その1「宿直の夜の出来事」

何だか両足へ飛び付いた。ざらざらして蚤(のみ)のようでもないからこいつあと驚ろいて、足を二三度毛布の中で振って見た。するとざらざらと当ったものが、急に殖(ふ)え出して脛(すね)が五、六カ所、股(もも)が二、三カ所、尻の下でぐちゃりと踏み潰(…

柏原の厄神さん

例年行っているのは、宗佐の厄神さん(加古川市八幡町)なんですが、今年は18日、19日と夫婦それぞれに予定があり、厄除け大祭が一日早く行われる丹波市柏原(かいばら)町の八幡神社へ、初めて参詣しました。北に向かって27キロ、1時間弱のドライブ…

コラム4  「落第と半途退学」

明治時代の中学生活を回想した文章に、「入学したときは○○名だったが、卒業時には○○名になっていた。」などという記述を見かけることがあります。 半途退学(中途退学)者が、今では想像できないぐらいに多かったのが、明治時代の中学校でした。兵庫県では、…

9  その3「宿直は何のために(つづき)」・「宿直は命がけ!?」

では、実際に宿直の業務はどのように規定されていたのでしょうか。 明治三十五年の『静岡県立浜松中学校一覧』から抜き出してみました。御真影と勅語謄本の「奉衛(守ること)」、「奉遷(移動すること)」について、細かく規定されています。 四章 内規第三…

9 その2「宿直は大切な仕事」・「宿直は何のために」

「坊っちゃん」に見る明治の中学校あれこれ: 国民的名作を教育史から読み直す 作者:藤原重彦 Amazon 宿直は大切な仕事 学校には宿直があって、職員が代る代るこれをつとめる。但し狸(たぬき)と赤シャツは例外である。何でこの両人が当然の義務を免(まぬ)…

9  「授業と宿直」  その1「勤務は三時まで?」

勤務は三時まで? いよいよ学校へ出た。初めて教場へ這入って高い所へ乗った時は、何だか変だった。講釈をしながら、おれでも先生が勤まるのかと思つた。(中略)二時間目に白墨を持って控所を出た時には何だか敵地へ乗り込こむような気がした。教場へ出ると…

「道の駅みつ」から「室津漁港」へ

朝イチで記事を一つアップした後、家内の実家へ。用事があって滋賀県からはるばるやって来た息子と三人で昼食。(SKという初めて入る回転寿司屋さんでした。KSとかSRはたまに行ってるのですが) 午後は夫婦で足を伸ばして、同じたつの市内でも播磨灘に面した「…

コラム3 「席次」

「席次」には、「会合・儀式などでの座席の順序、席順」とともに「成績・地位などの順位」という意味があります。 明治十八年(一八八五)までの小学校は「学年制」ではなく、「等級制」を採用していました。毎学期、毎学年末に試験を行って、その成績順に教…

8  その3「生徒控所」「教場へ入るときは」

生徒控所 教員に「教員控所」があったと同じく、生徒たちにも「生徒控所」という空間が用意されていました。当時の「教場」(教室)は「授業と試験」のみに使用され、登校時、休み時間、昼食などの間、生徒たちは「生徒控所」や校庭(運動場)で過ごすよう規…

雪の朝 ~建国記念の日~

「建国記念の日」は昭和41年(1966)に「国民の祝日」の一つに加えられました。制定の過程にはいろいろな論議があり、「建国記念日」ではなく、「の」が間に入っているところが微妙です。 さて、戦前はよく知られているように、2月11日は「紀元節」…

 「畦焼き」 ~農村の冬の風物詩~

心配されたお天気も回復し、午後から恒例の「畦焼き」が行われました。 (この上は通称”加茂さん”ー加茂神社ーで、延焼を防ぐために,畦には水路から汲んだ水をバケツで撒いてあります。) (加古川の東部河岸段丘にある私たちの地区には、ため池が多くありま…

8 番外「漱石の居た松山中学教員控室」

相川良彦『漱石文学の虚実』(幻冬舎、2017年)という本の中に、下のような「松山中学職員室机配置図」というのが紹介されています。(元の表に教科・月俸-単位は円-を追加しています) 作家・松岡譲氏(奥さんの筆子さんは漱石の長女)が遺した書物の中…

8  その2「教員控所」

冒頭(8その1「初めての教場」)に引用した文中の「控所」というのは、「教員控所」を略した表現で、言うまでもなく、現在の「職員室」のことです。 明治時代前期の「学校管理法」という教科書では、「教員控所」の他に、「教員詰所」とか「教員室」などと…

趣味あれこれ 落語会「西明石 浪漫笑」

毎月第二金曜日の夜は、西明石落語会「浪漫笑」に行っています。大学の後輩で、その昔同僚でもあった姫路在住の落語通Iさんに誘われて通い始め、もうすぐまる三年。 子供の頃から演芸ものは好きでしたが、生で見る(聴く)ようになったのは、定年後のことで…

8   「教場と控所」 その1「初めての教場」

初めての教場 いよいよ学校へ出た。初めて教場へ這入って高い所へ乗った時は、何だか変だった。講釈をしながら、おれでも先生が勤まるのかと思った。生徒は八釜(やかま)しい。時々図抜けた大きな声で先生という。先生には応えた。今まで物理学校で毎日先生…

コラム2  「修学旅行」

修学旅行というのは、我が国独特の学校行事だということです。 その先駆けとなったのは、東京師範学校(後の高等師範学校)が明治十九年(一八八六)に行った「長途遠足」でした。十二日間で千葉県の銚子方面へ徒歩遠足を行いました。その間に、生徒たちは鉄…

7  その2「学士の値打ち」「帝大出と高師出」

学士の値打ち その昔 、「学士様ならお嫁にやろか」というフレーズがあったのをご存じでしょうか。大学卒業人口の極めて少なかった明治から昭和戦前までの時代にあっては、「学士」は今の「博士」も足下に及ばない超エリートだったのです。 『坊っちゃんの通信…

7  「文学士と云えば」 その1「教頭のなにがし」

文学士と云えば 校長に尾いて教員控所へ這入った。広い細長い部屋の周囲に机を並べてみんな腰をかけている。おれが這入ったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人の前へ行って辞令を出…