往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧

4  「小倉の霜降り」その1

小倉の制服を着た生徒たち 学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、むやみに仰山な音がするので少し弱…

3  その2「坊っちゃんも官吏?」

さて、「月給四十円」を提示されて、中学校教員となった坊っちゃんですが、その任免や待遇はどうなっていたのでしょうか。 まず、根拠となっていたのは「公立中学校専門学校技芸学校職員名称待遇及任免ノ件」(勅令第二四四号、明治二十四年十二月十二日)と…

3  「四国辺の中学校」 その1

ぶうといって汽船がとまると、艀(はしけ)が岸を離れて、漕(こ)ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。尤(もつと)もこの熱さ(ママ)では着物はきられまい。(中略)磯に立っていた鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。…

2  その2「坊っちゃんは無資格教員!?」

「坊っちゃんは無資格教員だった!」というと、意外に感じられる向きも多いことでしょう。しかし、先に見たように、明治三十八年当時の物理学校は、「無試験検定の許可学校」ではなく、各種学校の扱いであったために、坊っちゃんは数学教員の免許状を持って…

2  「中学校の先生」その1「中学校教員の地位・養成」

明治29年4月、愛媛県尋常中学校(後の松山中学校)卒業記念写真。前から3列目の左から2人目が漱石(29歳)。写真/県立神奈川近代文学館所蔵 やはり、明治の先生がたは威厳がありますね!それに生徒たちもえらく大人びて見えます!! 中学校教員の地位…

1 その3「坊っちゃんは優等生!?」

坊っちゃんは優等生!? 三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑(おか)しいと思ったが苦情をいう訳もないか…

1 その2「物理学校」

降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男(明治34年~昭和58年:1901~1983年) これは昭和6年(1931)の句です。雪が降りしきる中、20年振りに母校の小学校付近を歩いていたときに浮かんだ句だということです。 句が詠まれてから88年が経過…

1  「坊っちゃんの学校歴」 その1「ある私立の中学校」

ある私立の中学校 母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければ…