寄宿舎での騒動は、学校当局の頭を悩ませた大きな問題の一つでした。
広島高等師範学校(明治35年創設、広島大学教育学部の前身)では、教育学の教授で附属中学校の主事でもあった長谷川乙彦の指導の下、学生5名が委員会を組織し、明治四十年五月に全国の中等学校(師範学校、中学校、実業学校)に対して、アンケート調査を実施しています。
広島県立文書館(https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/monjokan/)所蔵絵葉書より
その成果は、『中等学校寄宿舎研究』(広島高等師範学校教育研究会編、明治四十一年七月)として刊行されました。
同書の第十三章「寄宿舎騒動ありしならば其の動機」では、騒動の内容とその原因(動機)についての回答内容をまとめています。
それを次のように整理してみました。もちろん、各学校にとっては極めて不名誉な事柄だけに、報告されたのは実態よりもずっと少ない数値であると思われます。
Ⅰ 「記事なきもの及び寄宿舎騒動嘗てなし」・・・百七十五校
Ⅱ 「寄宿舎騒動ありしも其動機を記せざるものと記せるもの」・・・二十七校
動機(1)舎生自身に関するもの
「賄に対する不平」(六校)「舎生間の葛藤(上級生の下級生圧迫より)」「舎生の増長」「士族平民の軋轢(あつれき)」(各一校)
(2)被治者の治者に対する不平より
(a)舎監に対するもの
「舎生の誓願の許可せられざりしより」(四校)「寛厳矛盾ありしより」「賞罰の不公平より」「厳重に過ぎしより」「舎生の舎監を誤解せしより」「男色厳禁より」(以上各一校)
(b)学校に対するもの
「校長に対する不平より」「学校の厳重に過ぎしより」「校長留任運動より変じて」「成績不良に対する不平より」「赤痢病起こり学期試験の延期を誓願して許されざりしより」「服装改良に対する不平より」 (以上各一校)
(3)学校職員の内訌(ないこう、内紛の意)より・・・一校
回答された原因(動機)の中には、今日から見ても、なるほどと首肯できるものもありますが、中には「男色厳禁より」とか「士族平民の軋轢」などと、驚かされるとともに時代を感じさせるものも含まれています。
なお、同書では結論として次の三つの方針を挙げています。
その1 「家族的」集団の中で人間形成
その2 個性と自治の尊重
その3 小規模寄宿舎制度
どうも、英国のパブリックスクールを念頭に置いたようなところが感じられますが、いかがでしょうか。
大正期以降は、学校数の増加、交通機関の発達などの要因から、寄宿舎の数自体が次第に減っていきましたが、多感な青少年を収容しているだけに、その管理・運営は学校当局にとって大きな課題であり続けただろうと推測されます。
第10章 参考文献 * 国立国会図書館デジタルコレクション
近藤英雄『坊っちゃん秘話』青葉図書、一九八一年
相川良彦『漱石文学の虚実』幻冬舎、二〇一七年相川良彦「漱石先生と松山中学生との関係の虚実 ―『坊ちゃん』のもう一つの真相 ―」、「群系」二十八号、二○一一年
寺崎昌男「明治学校史の一断面」ー学校紛擾をめぐってー、『日本の教育史学 教育史学会紀要』日本の教育史学第十四集:教育史学会紀要、一九七一年
*桜井役『中学教育史稿』受験研究社増進堂、一九四二年* 寺田勇吉『学校改良論』東京南江堂、一八九八
*『愛媛県立松山中学校一覧』 一九○七年
*『大分中学校創立五十周年誌』一九三五年『兵庫県立小野高等学校八十周年記念史誌』一九八三年
『神戸高校百年史』神戸高校百年史編集委員会、一九九七年『茨城県立竜ヶ崎第一高等学校創立百周年記念誌“星霜百年白幡台”』二○○一年
*広島高等師範学校教育研究会編『中等学校寄宿舎研究』一九○八年