往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧

6  「教科目あれこれ」 

挨拶をしたうちに教頭のなにがしというのが居た。(中略)それから英語の教師に古賀とかいう大変顔色の悪るい男がいた。(中略)それからおれと同じ数学の教師に堀田というのがいた。(中略)漢学の先生はさすがに堅いものだ。(中略)画学の教師は全く芸人…

5 その2「門衛・喇叭手」

多くの中学校には、正門脇に門監所(舎)があり、門監(門衛)、喇叭手が詰めていました。 (写真は明治20年代と思われる福岡県立中学修猷館の正門付近、門衛らしき人物が写っています。『修猷館物語』より) 明治中頃に中学校生活を送った方が喇叭手に言…

5 「一時間目の喇叭」その1

教員が控所へ揃うには一時間目の喇叭(らっぱ)が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。(中略) そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうというから、校長に尾(つ)いて教員控所へ這入った。(二) …

コラム1 「運動会」

運動会というのは、修学旅行と同じく、わが国独特の学校行事です。英語に訳すと、”Athletic Meets"というそうですが、筆者が二十代の頃に勤めていた学校で、アメリカ人の若い女性のALT(外国語指導助手)に、この言葉を伝えたところ、怪訝な顔をされたこ…

4  その3「森有礼と学生服」「制服の着方が分からなかった話」

森有礼と学生服 これまで見てきた学生服の導入と普及の背景には、明治十九年(一八八六)に初代文部大臣に就任し、諸学校令を公布するとともに、学校への兵式体操(後の教練)を導入した森有礼(もりありのり)の国家主義的な思想があったと言われています。 (…

4  その2「詰襟以前」「詰襟の登場」「制服規程」

詰襟以前 中学校に詰襟の学生服が導入される以前の、明治二十年代の生徒の服装について、桜井役『中学教育史稿』(受験研究社増進堂、一九四二年)には、『日本中学校五十年史』からの引用で、東京における中学生の実態が紹介されています。 明治二十五六年…