平成18年(2006年)3月に、旧加東郡の社・滝野・東条の3町が合併して加東市となり、私たちの地区も「兵庫県加東市山国」となりました。
それでは大昔から政治体制の変革、行政区画の推移、市町村合併などにより、地区の呼称はどう推移してきたのでしょうか。簡単にまとめてみました。
1 中世・・・播磨国福田保内山國村(はりまのくにふくだのほのうちやまくにむら)
『日本歴史地名大系』(平凡社、2005年)によれば、「山國村」の名が登場する最も古い史料は元徳二年(一三三〇)二月一八日の「沙弥某寺領寄進状」(清水寺文書)だということです。
※福田保・・・野村、上田、福吉、大門、西古瀬、中古瀬、東古瀬、屋度、沢部、東実、出水、松尾、田中、山国の各村
「保」とは、平安時代後期(11世紀後半以後)から中世にかけて新たに「保」と呼ばれる所領単位が登場し、人名や地名を冠して呼ばれ、「荘」「郷」「別名」と並んで中世期を通して存在した。
*「播磨国」としている古文書もありますが、「播州」のほうが圧倒的に多いようです。
※画像 「天保国絵図播磨国」(天保9年・1838年、国立公文書館デジタルアーカイブより、「高933石とあります」)
3 明治5年(1872)・・・飾磨県第三大区第五小区山國村
廃藩置県(明治4.7.14)直後は「三草県」「姫路県」を経て「飾磨県」(明治4.11.9)に属した。行政区画の変更「大区・小区制」実施によりこのように称されたが、明治8年に「第二小区」に変更。明治9年(1876)第3次兵庫県(ほぼ現在の県域)の成立により、「兵庫県第三大区第二小区山國村」となる。
ただ、 明治時代の文書では依然として県名ではなく、江戸時代以来の「播磨国」(はりまのくに)を頭につけたものが多く存在します。
4 明治22年(1889)・・・兵庫県加東郡社村之内山國村(やしろむらのうちやまくにむら)
明治12年1月 行政区画として「加東郡」(現在の小野市域をも含む)発足、1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、社村・山国村・田中村・野村・貝原村・窪田村・鳥居村・家原村・西垂水村・松尾村・上中村・梶原村・北村・出水村の区域をもって社村が発足。
5 明治45年(1912)・・・兵庫県加東郡社町山國
6月1日 - 社村が町制施行して社町となる。
昭和30年(1955)には福田村、米田村、上福田村、鴨川村と合併し「新社町」となった。 戦後は「山國」から「山国」と「クニ」の漢字が新字体となった。
6 平成18年(2006)・・・兵庫県加東市山国
旧加東郡の社町、滝野町、東条町の3町が合併。
【参考・引用】
「ムラの戸籍簿データベース」 https://www.drfh.jp/mura/index.php?title=%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
『社町史 第2巻本編2』(2005年、ぎょうせい)
『兵庫県市町村合併史・上』(兵庫県総務部地方課、1962年
『日本歴史地名大系』(平凡社、2005年)