「建国記念の日」は昭和41年(1966)に「国民の祝日」の一つに加えられました。制定の過程にはいろいろな論議があり、「建国記念日」ではなく、「の」が間に入っているところが微妙です。
さて、戦前はよく知られているように、2月11日は「紀元節」と呼ばれていました。これは「三大節」(他は四方拝:1月1日、天長節:11月3日、昭和2年以降は「四大節」となり、「天長節」が4月29日となり、11月3日は「明治節」として付け加えられた。)の一つでした。
(小学校での勅語奉読と式歌斉唱の様子『風俗画報』64号明治24年)
当日学校では儀式が行われました。それを規定した「小学校令施行規則」(明治33年8月)の第28条を挙げてみましょう。
第二十八条
紀元節、天長節及一月一日二於テハ職員及児童、学校二参集シテ左ノ儀式ヲ行フヘシ
ー 職員及児童「君力代」ヲ合唱ス
ニ 職員及児童ハ天皇陛下皇后陛下ノ御影二対シ奉リ最敬礼ヲ行フ
三 学校長ハ教育二関スル勅語ヲ奉読ス
四 学校長ハ教育二関スル勅語二基キ聖旨ノ在ル所所ヲ誨告ス
五 職員及児童ハ其ノ祝日二相当スル唱歌ヲ合唱ス(以下略)
第五項に「其ノ祝日二相当スル唱歌ヲ合唱ス」とあります。「紀元節」では下の曲が歌われました。
授業のない日に実施される学校儀式に、当初は欠席する児童も多かったそうです。規程では地方の実情に合わせて、出席者にお菓子などを配ってもよいという一項が含まれていました。紅白の餅や饅頭、落雁などをもらっていたということです。
中学校でも施行規則において、小学校と同様の規程がなされました。各中学校は内規で「式次第」を定めています。明治43年の愛媛県立松山中学校のそれを挙げておきます。(漢字は旧字体を新字体に改めています)
第12章 儀式
第65条 三大節ノ儀式順序左ノ如シ
一 生徒一同入場着席
二 職員同上
三 職員生徒一同立礼
四 学校長式ヲ始ムル旨ヲ告グ
五 学校長最敬礼ヲナシ開扉ス
六 開扉ノ時一同最敬礼
七 唱歌
八 学校長及職員生徒御真影ニ対シ最敬礼 学校長賀辞ヲ奉リ最敬礼(職員生徒同上)ヲナシ 復席
九 学校長教育勅語ヲ奉読スル旨ヲ告グ 奉読ノ前後一同最敬礼
十 学校長最敬礼ヲナシ閉扉ヲ了リ復席シテ式ノ終ヲ告グ
十一 職員生徒一同立礼
十二 職員退場
十三 生徒退場
(第七 松山中学校細則より)
#今朝は起きてびっくり。温暖な当地方では年に一二度というレベルの降雪です。昨日畦焼きが終わっていて良かったです。