往事茫々 思い出すままに・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことを書き留めていきます

教育史

コラム26 「進学競争⑤」

■ 地方の中学校の進学対策 これまでに取り上げた『受験生の手記』の久野健吉や和辻哲郎(現役生)の例などは、短期間でも東京の予備校に通うことの出来た、いわば恵まれた境遇にある受験生でした。 そうした機会に恵まれない地方の浪人生には、中学校に補習…

コラム25 「進学競争④」

■『受験生の手記』に見られる受験競争をめぐる諸相(つづき) ○予備校通いと参考書 コラム23の最後に取り上げたことですが、3月に中学校を卒業した受験生は上京して、7月の入試まで予備校に通うということがよくありました。主人公の健吉もその一人です…

コラム23  「進学競争②」

■ 中学校卒業者の進路先 中学校を卒業した人たちはどんな進路を選んだのでしょうか。 上の表から、明治末にかけての10年間の推移を見ていくと、いくつか気がつくことがあります。 ○高等学校へ「進学できた人」の比率が大きく減りました。 ○教員(小学校の代…

コラム22   「進学競争①」

明治の30年代から中学校の増設が進み、明治34年(1901)に全国の中学校卒業者数9,444人であったものが、10年後の明治44年(1911)には、17,561人と1.86倍に増加しました。戦前期最大の増加率であったと言われています。 それに対する受…

コラム21  「明治のトンデモ校則③」

その3「級長の任務」 現在の中学校や高校では、各クラスに学級委員長・副委員長がいます。「学級委員」、「クラス委員」、「ホームルーム委員」などと呼んでいる学校もあります。普通はクラス全員の選挙で選ばれています。 その昔は、「学級委員長」ではな…

コラム20  「明治のトンデモ校則②」

その2「小説読むべからず!」 明治四十二年(1909)の『東京府立第四中学校一覧』の「生徒ニ関スル諸規定」には「稗史小説等の書を読むべからず」の一項があります。(下の画像) (註)「稗史」(はいし)・・・昔、中国で稗官が民間から集めて記録した小説 …

コラム19  「明治のトンデモ校則①」

「弁当の立ち食い」 ここ数年、教育界でも「ブラック」という言葉をよく聞くようになりました。例えば、教師の長時間労働、 長時間の厳しい練習で教師や生徒を追い詰めるブラック部活、そして「ブラック校則」。 いわば当然のことなのでしょうが、明治時代は…

コラム18   「中学校の外国人教師③」

■ 外国人教師の実態 前回取り上げたYMCAルートで来日した外国人教師は、どんな人たちだったのでしょうか。 出身国としてはアメリカがほとんどを占め、イギリスやカナダは少数でした。 年齢は当初20代よりも30代が多かったのですが、次第に20代がほ…

コラム17   「中学校の外国人教師②」

■外国人教師の増加 明治三十二年(1899)、中学校令が全面改正され、従来の尋常中学校は「中学校」に改称されました。これ以降、三十年代の後半にかけて中学校の増設が続きます。 外国人教師の数も明治三十四年(1901)に全国で23名(官公立19・私立4)で…

コラム16   「中学校の外国人教師①」

■夏目金之助の前任者 明治二十八年(1895)四月十日付で愛媛県尋常中学校の嘱託教員となった夏目金之助(漱石)の前任者は、キャメロン・ジョンソン(Johnson,Cameron)というアメリカ人でした。 ジョンソンはアメリカ・ミシシッピー州出身でユニオン神学校…

コラム15   「ラフカディオ・ハーンの見た師範学校生」

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は明治23年(1890)8月、島根県尋常中学校(現在の県立松江北高等学校)ならびに島根県尋常師範学校(現在の島根大学教育学部)の英語教師として赴任、翌年11月に第五高等中学校(後の第五高等学校、現在の熊本大…

16  その4「中学校と師範学校④」

最後に、「両者の対立意識」についても見ておきたいと思います。 残念ながら、師範学校生の意識をうかがい知ることのできるようなものは未見ですが、中学生の師範学校生に対する優越意識は、次に挙げるような回想文によく現れています。 これは、明治二十四…

16  その3「中学校と師範学校③」

次に、「(師範学校生の)中学に対する屈折した感情」について考えてみます。 これは、言い換えると「劣等感」ということになるでしょうか。 明治三十三年の「学校系統図」(文部科学省ホームページ http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detai…

16  その2「中学校と師範学校①」

『坊っちゃん』に見る明治の中学校あれこれ 作者:藤原重彦 パブフル Amazon 「教育史的事象やその背景をよく描写していると思われる文学作品」をテキストに、大学で教育史の講義をされた古屋野素材氏は、「中学校と師範学校の喧嘩」について、以下のように「…

16  「何だ地方税の癖に」 その1「祝勝会」

祝勝会 祝勝会で学校は御休みだ。練兵場(れんぺいば)で式があるというので、狸は生徒を引率して参列しなくてはならない。おれも職員の一人として一所にくっついて行くんだ。(中略) 何だか先鋒(せんぽう)が急にがやがや騒ぎ出した。同時に列はぴたりと留ま…

コラム14  「試験とカンニング」

明治30年代は中学校教育の整備が進みました。 中でも、明治34年(1901)3月の「中学校令施行規則」の制定によって、「課程の修了」、「卒業」が次のように定められました。 各学年ノ課程ノ修了又ハ全学科ノ卒業ヲ認ムルニハ平素ノ学業及 試験ノ成績…

コラム13  「稚児さん」

飲酒、喫煙、劇場等への出入り等々。当時の言葉では「風紀上の弊風」ですが、今風に言えば「生徒指導上の諸問題」とでも言うべきでしょうか。 そうした中で、あまり公にされてこなかったものに、「鉄拳制裁」と並んで「稚児さん」というのがありました。 『…

15  その3「その後のうらなり先生」

小説家・小林信彦氏(昭和七年,一九三二~)に『うらなり』(文藝春秋、平成十八年:二○○六)という作品があります。 マドンナを横取りしようとする赤シャツ教頭の策謀で、うらなりこと古賀先生は宮崎県の延岡に転任させられるのですが、本作ではうらなり自…

15  その2「なぜ日向の延岡なのか?」

宮崎県延岡市のホームページには「延岡は、ここじゃが!こんげなまちじゃが!」という副題があり、当市の紹介がされています。 延岡市は、東九州に位置し、九州山地を背に、清流五ヶ瀬川が貫流し、日向灘に面した、産業と歴史と文化とスポーツが息づく「市民…

15  「一級俸上がって行く事になりました」 その1「赤シャツから昇給の話」

赤シャツから昇給の話 「へえ、俸給ですか。俸給なんかどうでもいいんですが、上がれば上がった方がいいですね」 「それで幸い今度転任者が一人出来るから―尤(もつと)も校長に相談して見ないと無論受け合えない事だが―その俸給から少しは融通が出来るかも知…

番外  「坊っちゃん」「田舎教師」、一枚の写真に主人公のモデル2人

ブログのネタを探している途中に、ネットで見出しの新聞記事に遭遇しました。(産経新聞2018年3月25日https://www.sankei.com/life/news/180325/lif1803250025-n1.html) 文豪、夏目漱石の「坊っちゃん」と田山花袋(かたい)の「田舎教師」の主人公…

コラム12  「宮沢賢治の中学入試」

宮沢賢治は明治42年(1909)4月、岩手県立盛岡中学校に入学しました。 受験の様子を、その年の入試問題も紹介しながら、たどってみたいと思います。 (盛岡中学1年時の賢治、前列左) 3月31日(水) 午後、母、妹とともに花巻の家を出て汽車で盛…

14  その2「英国人の見た中学校の事情」

明治三十七年(一九○四)、インドでミッションスクールの校長をしていた英国人ウィリアム・ヘースティング・シャープ(Wiliam Hastings Sharp)は来日して、約半年にわたって日本の教育事情を視察しました。その報告書においても、中学教員の異動の多さが指摘…

14 「 『渡りもの』の教師たち」 その1 「渡りもの」・「流して歩く教師」

赤シャツは一人ものだが、教頭だけに下宿はとくの昔に引き払って立派な玄関を構えている。家賃は九円五拾銭だそうだ。田舎へ来て九円五拾銭払えばこんな家へ這入(はい)れるなら、おれも一つ奮発して、東京から清を呼び寄せて喜ばしてやろうと思ったくらい…

コラム11  「鉄拳制裁」

鉄拳制裁。『日本国語大辞典』には、「げんこつで殴って懲らしめること」とあります。 校規違反をおかしたり、学校の体面を傷つけるような破廉恥な事件を引き起こしたりした下級生(同級生の場合も)に対して、上級生が行う「私的制裁」(リンチ)のことです…

13   その3 「明治の英語教育批判」

帝国大学文科大学長(現在の東大文学部長に当たる)を経て同総長、貴族院議員、第三次伊藤博文内閣の文部大臣などを務めた外山正一(とやままさかず、嘉永元年~明治三十三年・一八四八~一九○○)は自著『英語教授法』(大日本図書、明治三十年:一八九七)…

13  その2「文学士・夏目金之助の授業ぶり」

「辞書が間違ってゐるんだ」 坊っちゃんは、数学の教師という設定ですが、作者の漱石は元々が英語の教師ですから、ついつい英語教師の癖が出てしまうところがあります。 愛弟子の森田草平が、『夏目漱石』(甲鳥書林、昭和十七年:一九四二)の中で指摘して…

13  その1「フランクリンの自伝」だとか「プッシング・ツー・ゼ・フロント」だとか 

一体この赤シャツはわるい癖だ。誰を捕(つら)まえても片仮名の唐人の名を並べたがる。人はそれぞれ専門があったものだ。おれのような数学の教師にゴルキだか車力(しゃりき)だか見当がつくものか、少しは遠慮するがいい。いうならフランクリンの自伝だと…

コラム10 中学校に行きたかった若者たち その2『路傍の石』と山本有三

前回の「コラム9」で少しふれましたが、「学力優秀でありながら中学校進学がかなわなかった」主人公が出てくる小説作品と言えば、なんと言っても山本有三『路傍の石』であろうと思われます。 ただ、若い人たちにはそれほど知られてないかも知れませんので、…

コラム9 「中学校に行きたかった若者たち」

明治四十年(一九○七)に尋常小学校六カ年が義務教育になるまでは、尋常小学校四カ年を経て、高等小学校(四年制)二年修了が中学校への入学資格でした。 明治の前半にあっては、この高等小学校への進学も庶民にとっては、なかなかハードルの高いものでした…