往事茫々 思い出すままに・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことを書き留めていきます

9 その2「宿直は大切な仕事」・「宿直は何のために」

 

 

 

 宿直は大切な仕事

 学校には宿直があって、職員が代る代るこれをつとめる。但し狸(たぬき)と赤シャツは例外である。何でこの両人が当然の義務を免(まぬ)かれるのかと聞いて見たら、奏任(そうにん)待遇だからという。面白くもない。月給は沢山(たくさん)とる、時間は少ない、それで宿直を逃がれるなんて不公平があるものか。勝手な規則をこしらえて、それが当たり前だというような顔をしている。よくまああんなに図迂ゝ(ずうずう)しく出来るものだ。これについては大分不平であるが、山嵐の説によると、いくら一人で不平を並べたって通るものじゃないそうだ。一人だって二人だって正しい事なら通りそうなものだ。山嵐は might is right という英語を引いて説諭を加えたが、何だか要領を得ないから、聞き返して見たら強者の権利という意味だそうだ。(四)

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(旧制土浦中学校ー現茨城県立土浦第一高等学校ーの宿直室、

https://4travel.jp/travelogue/10777854

 私たちの小中高校時代には、学校に必ず宿直室というのがありました。ご年配の先生たちから、昔はよく夕方から囲碁将棋などをして楽しんだものだというお話をうかがったことがあります。 
 私は昭和五十三年(一九七八)から三十八年間公立高校に勤めましたが、全日制の普通科の学校では、もう「宿直」という業務はありませんでした。
 平成の初め頃、九○年代の後半ぐらいまでは、「宿直代行員」と呼ばれる方が、夕方から泊まり込みで勤務されていたのを記憶しています。その後、現在に至るまでは、警備会社に機械警備を委託するのが一般的になっています。
 当時の宿直の実態を、先にも挙げた『全国公立尋常中学校統計書』中の「第十四表 実科撃剣柔術学友会宿直ニ関スル表」で確認してみました。
 すると、愛媛県尋常中学校の場合は「職員輪番一名ずつ宿直、但し校長首座教員を除く」との記載があり、作中の記述と合致しています。
 ほとんどの学校では奏任待遇であった校長と教頭(首席教諭)は宿直を免除されていたようです。
  ちなみに、岩波文庫の註では、「松山中学では(校長の他に」教頭格で漱石と同じ月俸八十円の横地石太郎(理学士)と漱石が宿直を免ぜられていたという」とあります。嘱託教員でありながら、漱石はやはり特別扱いだったのです。

 

 宿直は何のために

   教師も生徒も帰ってしまったあとで、一人ぽかんとして居るのは随分間が抜けたものだ。宿直部屋は教場の裏手にある寄宿舎の西はずれの一室だ。(中略)生徒の賄(まかない)を取りよせて晩飯を済ましたが、まずいには恐れ入った。よくあんなものを食って、あれだけに暴れられたもんだ。それで晩飯を急いで四時半に片付けてしまうんだから豪傑に違いない。飯は食ったが、まだ日が暮れないから寐(ね)る訳に行かない。ちょっと温泉に行きたくなった。宿直をして、外へ出るのはいい事だか、悪るい事だかしらないが、こうつくねんとして重禁錮(じゅうきんこ)同様な憂目(うきめ)に逢うのは我慢の出来るもんじゃない。始めて学校へ来た時当直の人はと聞いたら、ちょっと用達(ようたし)に出たと小使が答えたのを妙だと思ったが、自分に番が廻って見ると思い当る。出る方が正しいのだ。おれは小使にちょっと出てくるといったら、何か御用ですかと聞くから、用じゃない、温泉へ這入(はい)るんだと答えて、さっさと出掛かけた。(四)

 

 四時半に夕食とは恐れ入りますが、その前に「教師も生徒も帰ってしまった」ということは、放課後の部活動など(当時は校友会活動と言ったようですが)はなかったのでしょうか。
 それにしても、「出る方が正しいのだ。」などと、勝手なことを言っています。「君はいったい宿直の意味が分かっているのか!?」と言いたいところです。
 実は、昭和戦前までの宿直には、我々現代人の想像を超える重い任務が課せられていたのでした。
 そのあたりの事情を『学校ことはじめ事典』(佐藤秀夫、小学館、一九八七年)はこう説明しています。

 宿日直の業務としては校外からの連絡受理、重要文書の保管なども含まれてはいたが、その本命はなんといっても、御真影勅語謄本の警備であり、非常の際に搬出するためのからびつやしょいこが用意され、第一「奉遷所」はどこ、そこが危なくなったら第二「奉遷所」へと細かく規定されていた。 (傍線筆者)

  

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