往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

番外  「坊っちゃん」「田舎教師」、一枚の写真に主人公のモデル2人

    ブログのネタを探している途中に、ネットで見出しの新聞記事に遭遇しました。産経新聞2018年3月25日https://www.sankei.com/life/news/180325/lif1803250025-n1.html

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 文豪、夏目漱石の「坊っちゃん」と田山花袋(かたい)の「田舎教師」の主人公のモデルが一緒に写っている写真が埼玉県立熊谷高校(同県熊谷市)で保管されていたことが24日、分かった。明治34年に撮影された。日本近代文学の傑作のモデル2人が一緒に過ごした歴史を後世に残そうと、卒業生らが発起人となり、今夏、同校内に記念碑を建立する。

 熊谷高卒業生らでつくる記念碑実行委員会によると、写真は34年3月28日に旧制熊谷中学校(現熊谷高)の第2回卒業式終了後に撮影されたもので、卒業生が発見した。

 坊っちゃんの主人公である語り手のモデルとされ、熊谷中の教師だった弘中又一氏と、田舎教師の主人公、林清三のモデルで生徒だった小林秀三(ひでぞう)氏が一枚の写真に納まっている。当時、弘中氏は28歳、小林氏は18歳。写真の裏面に2人の氏名が明記されている。

 弘中氏は山口県出身。四国の旧制松山中学校で28年5月から約1年間、漱石の同僚だった。33年に熊谷中に赴任し、約19年間にわたり数学を教えた。ドジョウを買ったが、入れ物がないためかぶっていた山高帽の中に入れて持ち帰った逸話も残されており、坊っちゃんの無鉄砲な性格をほうふつさせる。小林氏は熊谷中の第2回卒業生。34年に現埼玉県羽生市弥勒(みろく)高等小学校の教師となったが、3年後に肺結核で21歳で死去。

 当時、同市の建福寺に下宿していた。住職が花袋の義理の兄で、花袋が小林氏の日記を見て創作意欲にかられ、薄幸の田舎教師の物語を執筆したとされる。

 

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 (「埼玉県立熊谷中学校一覧 明治38年10月」より)