往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

15  「一級俸上がって行く事になりました」 その1「赤シャツから昇給の話」

 赤シャツから昇給の話

  「へえ、俸給ですか。俸給なんかどうでもいいんですが、上がれば上がった方がいいですね」
  「それで幸い今度転任者が一人出来るから―尤(もつと)も校長に相談して見ないと無論受け合えない事だが―その俸給から少しは融通が出来るかも知れないから、それで都合をつけるように校長に話して見ようと思うんですがね」
 「どうもありがとう。だれが転任するんですか」
 「もう発表になるから話しても差し支えないでしょう。実は古賀君です」
 「古賀さんは、だってここの人じゃありませんか」
 「ここの地(じ)の人ですが、少し都合があって―半分は当人の希望です」
 「どこへ行くんです」
 「日向(ひゅうが)の延岡(のべおか)で―土地が土地だから一級俸上がって行く事になりました。  」
 「誰か代りが来るんですか」
 「代りも大抵(たいてい)極まってるんです。その代りの具合で君の待遇上の都合もつ くんです」
 「はあ、結構です。しかし無理に上がらないでも構いません」
(中略)
    延岡といえば山の中も山の中も大変な山の中だ。赤シャツのいう所によると船から上がって、一日馬車へ乗って、宮崎へ行って、宮崎からまた一日車へ乗らなくっては着けないそうだ。名前を聞いてさえ、開けた所とは思えない。猿と人とが半々に住んでるような気がする。いかに聖人のうらなり君だって、好んで猿の相手になりたくもないだろうに、何という物数奇(ものずき)だ。(八)

  英語教師の「うらなり先生」は、恋敵(こいがたき)である教頭の赤シャツの策謀にひっかかり、宮崎県の延岡に転勤することになります。
 そのことを坊っちゃんが初めて聞かされる場面です。
 「うらなり先生」は転勤により俸給が五円上がります。その後任の給料を安くできるので、浮いた差額五円を坊っちゃんに加俸にしようというのです。(坊っちゃんを自分たちの一派に取り込もうという魂胆が丸見えです)
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NHK新春ドラマ「坊っちゃん」1994年より、赤シャツ教頭に言いくるめられるうらなり先生)

 現在、公立学校教員の給与は、設置者である地方公共団体の条例・規則で定められています。
 しかし、当時は後に挙げる「公立学校職員俸給令」(明治三十六年)に拠りながら、各中学ごとに決められている教職員の給料の総額の範囲の中で、校長の裁量によって各教職員の給料を配分していたようです。 

 

「公立学校職員俸給令」(明治三十六年三月勅令第六十六号)中の関係部分
 第四條 判任文官ト同一ノ待遇ヲ受クル職員ノ月俸ハ第三號表に依ル

  第三號表

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 「うらなり先生」の松山での俸給額はわかりませんが、転勤先の延岡では、確実に五円上がることになるのです。
    明治三十三年当時、小学校教員の初任給は、東京府でも十~十三円だったということですから、この五円の昇級というのは、   「うらなり先生」には相当に魅力があったのでしょうね。