往事茫々 思い出すままに・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことを書き留めていきます

15  その3「その後のうらなり先生」

    小説家・小林信彦氏(昭和七年,一九三二~)に『うらなり』(文藝春秋、平成十八年:二○○六)という作品があります。

   

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    マドンナを横取りしようとする赤シャツ教頭の策謀で、うらなりこと古賀先生は宮崎県の延岡に転任させられるのですが、本作ではうらなり自身が語り手となって、その後の人生を描くという趣向となっています。
    延岡の地で二年を過ごした古賀は、兵庫県姫路市で商業学校の教師になります。
 一方、マドンナは大阪の富豪に嫁ぎました。
 元判事の娘と結婚し、一男一女をもうけた古賀は、本業の傍ら、翻訳をしたり、随筆を書いたりしていましたが、ある時頼まれてのNHK大阪放送局のラジオ番組に出演しました。 
 偶然にそれを聴いた多恵子(元のマドンナ)から手紙が来て、二人は神戸で再会することになりますが・・・。
 坊っちゃんは街鉄の技手になったと作中に明記されている訳ですが、彼とともに学校を去った山嵐はどうなったのでしょうか。また、その後のマドンナと古賀は・・・?

    興味を持たれた方は、ぜひご一読を。

 

 『坊っちゃん』の主な登場人物については、古くからそれぞれのモデル論が盛んでした。下の( )内はいずれも松山時代の同僚教師で、有力なモデル候補とされている人たちです。

 ・坊っちゃん(弘中又一・数学) 

 ・山嵐(渡部政和・数学)

 ・赤シャツ(横地石太郎・教頭)

 ・狸(住田昇・校長)

 ・野だいこ(高瀬半哉・画学)

 ・うらなり(中堀貞五郎・地理、物理)

 「うらなり」の有力モデルとされる中堀貞五郎今治出身 、東京物理学校2期生、安政4~昭和22年:1857~1947)については、近年伝記研究が進んでいます。また、正岡子規の妹・律の二度目の結婚相手としても知られています。

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(地元で開催された展示会のポスター)

※ 中堀のことは、「データベース愛媛の記憶・わがふるさと愛媛学 平成5年度 愛媛学セミナー収録」(http://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:1/20/view/2925)や勤務していた弓削商船学校(現在の商船高専)のホームページなどで取り上げられています。(https://www.zensenkyo.com/dosokai/yuge/2013-05/yuge2013-05.htm

 

 

 第15章参考文献 

『値段の明治大正昭和風俗史 上』週刊朝日編、朝日文庫、一九八七年

小林信彦『うらなり』文藝春秋 二○○六年

相川良彦『漱石文学の虚実』幻冬舎 二○一七年