一体この赤シャツはわるい癖だ。誰を捕(つら)まえても片仮名の唐人の名を並べたがる。人はそれぞれ専門があったものだ。おれのような数学の教師にゴルキだか車力(しゃりき)だか見当がつくものか、少しは遠慮するがいい。いうならフランクリンの自伝だとか『プッシング・ツー・ゼ・フロント』だとか、おれでも知ってる名を使うがいい。赤シャツは時々『帝国文学』という真赤な雑誌を学校へ持って来てありがたそうに読んでいる。山嵐に聞いて見たら、赤シャツの片仮名はみんなあの雑誌から出るんだそうだ。帝国文学も罪な雑誌だ。(五)
赤シャツ教頭から釣りに誘われた坊っちゃんは、画学の教師吉川(野だいこ)を含めて、三人で沖へ出ます。最初に坊っちゃんが釣った魚が「ゴルキ」(岩波全集の注解:ベラに似た魚で、松山地方ではギゾーと呼ばれる。)であったことから、赤シャツが「露西亜(ろしあ)の文学者見たような名」だと洒落(しゃれ)て見せ、それに野だいこが調子を合わせのるが、坊っちゃんには気にくわないのです。上の引用文はその直後の部分になります。
「おれでも知ってる」という『フランクリンの自伝』や『プッシング・ツー・ゼ・フロント』(Pushing to the Front:邦題「前進あるのみ」)は明治時代の中学校でよく使われた英語のテキストです。
前者は、今でもよく知られており、岩波文庫などで読むことができます。
一方、後者は、オリソン・S・マーデン(Orison Swett Marden、一八五○~一九二四,アメリカの実業家で著述家)の著書で、困難を克服した偉人のエピソードや格言、箴言(しんげん)を盛り込んだ本書は、当時のアメリカで大ベストセラーとなりました。
「プロジェクト・グーテンベルク」(著作権の切れた名作などの全文を電子化してインターネット上で公開している電子図書館)のテクストを見ると、一九一一年版の前書きには次の一文があり、明治の末頃には、日本を始め諸外国で英語の教材として広く採用されていたことがわかります。
In Japan and several other countries, it is used extensively in the public schools.
(日本や諸外国で、中等学校において広く使われた。)
今ではあまり知る人のない著者のマーデンですが、一八九七年に彼がアメリカで創刊した雑誌『SUCCESS』は、成功者のインタビュー記事を中心にしたもので、当時のアメリカでは、ビジネス系五大紙のうちの一つとして有名でした。
それにしても、「プッシング・トゥ・ザ・フロント」ではなくて、なぜ「ゼ」となっているのでしょうか。
当時、いくつか註訳書が出版されていましたが、どれもやはり、「ゼ」となっています。
(写真は「近代書誌・近代画像データベース」より
http://base1.nijl.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000203KDS_AIZU-00101)
その理由が英語教育法の違いにあるということが、川島幸希氏の『英語教師 夏目漱石』(新潮選書、二○○四年)を読んでいて分かりました。
明治の二十年代になっても、「漢文式訳読法で、英語の音声面には目をつぶり、英文の言わんとしていることの理解を最優先した」、いわゆる「変則英語」による英語教育が主流だったのです。
それに対して、「発音やアクセントなどの音声面を重視する教授法」を「正則英語」と言いました。
同書では、定冠詞のtheを「ゼ」、極端な場合は「トヒー」と発音するような「変則英語」の例が挙げられています。
そういう時代背景があってのことだったのですね。