往事茫々 思い出すままに・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことを書き留めていきます

コラム15   「ラフカディオ・ハーンの見た師範学校生」

 ラフカディオ・ハーン小泉八雲は明治23年(1890)8月、島根県尋常中学校(現在の県立松江北高等学校)ならびに島根県尋常師範学校(現在の島根大学教育学部)の英語教師として赴任、翌年11月に第五高等中学校(後の第五高等学校、現在の熊本大学)に転任するまで、1年3ヶ月の間松江で暮らしました。

 

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  『日本の面影』(池田雅之訳、角川ソフィア文庫、2000年)に収められた『英語教師の日記から』では、「自分の本務校は中学校であり、師範学校のことはよく分かっていない」と断った上で、両校の生徒の印象が語られています。

 

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(島根県立松江北高等学校ホームページより、http://www.matsuekita.ed.jp/12.html)

 ここでは、師範学校生についての記述で特徴的なところを紹介してみたいと思います。

    この師範学校は県立校である。生徒たちは試験を受け、品行方正を保証する内申書によって入学を許可されるが、もちろん、その数は限られている。生徒たちは、月謝、寄宿費、さらに書籍代や学用品から衣服に至るまで免除される。国費によって寄宿代、衣服代、食費が賄われる代わりに、卒業後は五年間、教師として国に奉仕することが課されている。(中略)

 生徒に対して行われる訓練は、軍隊式で厳しいものだ。事実、それだからこそ、軍事規定により、師範学校の卒業生は兵役を一年以上免除されることになっている。卒業するときには、生徒はもう一人前の兵士となっているのである。操行も重視されていて、そのために成績がつけられる。入学当時は相当なやんちゃ坊主でも、卒業するまでそのままで過ごすことはできない。粗野ではないが、自立心と自己管理が発達した、男らしい精神がここで養われる。(中略)

 また、生徒は常に服装に落ち度のないよう、清潔な身なりをしていなければならない。いつ、どこで教師に出会っても、立ち止まって踵(かかと)をそろえ、背筋を伸ばして敬礼をしなければならない。そして、この動作は、ちょっと言い表しがたい優雅な敏速さで行われている。

 授業中の生徒の行儀は、むしろ欠点がなさすぎるほどだ。ささやき声ひとつ聞こえないし、許可なしに本から顔を上げることもない。(後略)

 日本に来て間もないハーンの師範学校についての理解が一面的であるということは、明治37年(1904)に来日し、半年にわたって日本の教育事情を視察した英国人の教育行政官W・H・シャープの次のような言葉からもうかがえます。
 

 このようなこと(上に引用した内容)があると、師範学校に於ける最近の騒動を理解するのが非常に難しい。その全貌はまだ聞いていないが、生徒240名のうち220名が無期停学になっているという話である。

(W・H・シャープ『ある英国人のみた明治後期の日本の教育』上田学訳 行路社 1993)

 では、実際のところはどうだったのでしょうか。
 明治19年(1886)「師範学校令」以降の師範学校の変化は、「寄宿舎の兵営化」「 寄宿舎の軍隊式編成」(上級生と下級生の関係「学校騒動」などといった見出しで語られることがよくあります。

 兵庫県御影師範学校創立五十周年記念誌』(昭和3年:1928)から、そうした実態がよくうかがえる回想文を紹介してみます。

 舎内で腕相撲をしたり、押し入れに隠れて藤八拳のけいこをすることも、短褐弊袴で市中をかっ歩することも、ことごとく過去の語りぐさとなった。したがって、規律の厳格、当時の兵営と少しの変わりもない。週一度の外出と日曜休日が何よりの慰安であった。(明治22年卒業生)
 

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(明治30年頃の御影師範学校生、『兵庫県教育史』より) 

    その当時はまだ軍隊式訓練の面影が濃くて、階級意識が寄宿舎を支配していた。四年生の寝台は一年生が始末せねばならぬ。(中略)上級生の前には理義もなければ弁疏もない。ただわけもなく威圧して快しとする悪習があった。「タコをつる」といって、故意や悪意のものはもちろん、何ら過失なき温順の者も、一度や二度は週番室に呼び出されて、その脅威をうけないものはなかった。(明治43年卒業生)

  20年が経過しても師範学校の体質は変わるところがなかったということになるでしょうか。

 さて、ハーンですが、彼は中学校では週に20時間の授業をしましたが、師範学校ではわずか4時間の受け持ちでした。

    授業で接する生徒たちの品行方正、規律正しい立ち居振る舞いは確かに印象的でした。

 しかし、ハーンには授業以外の、特に寄宿舎生活の様子は知る由もありませんでした。

    

# 元新聞記者で高等教育を受けているわけでも、教職経験があるわけでもないハーンでしたが、島根県では県知事に次ぐ月俸100円を支給されていたということです。今の金額ではいくらぐらいになるのでしょうか?