往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

4  「小倉の霜降り」その1

小倉の制服を着た生徒たち

  学校は昨日車で乗りつけたから、大概の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関までは御影石で敷きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、むやみに仰山な音がするので少し弱った。途中から小倉の制服を着た生徒に沢山逢ったが、みんなこの門を這入って行く。中にはおれより脊が高くって強そうなのがいる。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪るくなった。(二)

  初出勤の日の坊っちゃんです。
  新潮文庫版では「小倉の制服」に、次のような注解があります。

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  小倉の制服・・・小倉はもと九州小倉で産出した綿織物小倉織のこと。丈夫なので学生服などによく用いられた。一二○頁の主人公は教頭を訪ねるに当たって「小倉の袴」を着用している。

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 (日本芸能美術㈱本社 時代日本2
http://www.geibi.net/tokyo/tokyoisyou5b.html

   『坊っちゃん事典』(佐藤裕子他編集、勉誠出版、二○一四年)には、より詳しい解説が載っています。

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 「小倉織」の制服の意。江戸時代の豊前小倉藩(現在の福岡県北九州市)の特産物。「小糸」と呼ばれる良質の生綿から紡いだ綿糸を三本または四本より合わせた者で織ったため、大変丈夫であった。帯・袴・学生服・下級官吏の制服などに用いられた。また、水につけると布地が引き締まり、更に丈夫になる。良質な綿糸を使用しているため、布地に光沢があり、洗濯をするたびに光沢が増すと言われている。(以下略)

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 坊っちゃんがすれちがった生徒たちが着ていたのは、季節から見て「霜降り小倉」と呼ばれたグレー無地の夏服であったようです。
 *写真は、昭和十二年(一九三七)当時の旧制愛媛県今治中学校のもの。

(「生涯学習愛媛No61」http://www.i-manabi.jp/system/HON/SONOTA79_4.html

 

 「中にはおれより脊が高くって強そうなのがいる。」と言っています。
 明治三十二年(一八九九)の「改正中学校令」では、「中学校ニ入学スルコトヲ得ル者ハ年齢十二年以上ニシテ高等小学校第二学年ノ課程ヲ卒リタル者又ハ之ト同等ノ学力ヲ有スル者タルヘシ」(第十条)とあるので、十二歳から十八歳の生徒を収容していたと思われがちです。
 ところが、明治三十九年の『松山中学校一覧』を見ると、一年生一九二人のうち、高等小学校二年を終えての入学者が一六名(八%)なのに対して、同じく三年を終えた者七十八人(四一%)、四年を終えた者九十七人(五一%)となっています。また、五年生では、一○二人のうち、二十八人(二七%)は二十歳を越えるという統計が載っています。どうやら、ストレートに進学や進級のできた生徒はそう多くなかったようです。
 二十三歳で、どちらかと言えば小柄な印象のある坊っちゃん漱石の身長は一五九センチであったと言われています)には、図体ばかり大きくて、可愛げのない生徒と映る者もずいぶんといたことでしょう。

 

*『坊っちゃん』という一中編小説に関する事典が出版されています!きわめて珍しいのではないでしょうか。やはり、それだけ国民的な人気を博し続けているということなんでしょうね。数えてみると、作品の発表(明治39年:1906)から今年で113年になります。