往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

3  その2「坊っちゃんも官吏?」

 

  さて、「月給四十円」を提示されて、中学校教員となった坊っちゃんですが、その任免や待遇はどうなっていたのでしょうか。
 まず、根拠となっていたのは「公立中学校専門学校技芸学校職員名称待遇及任免ノ件」(勅令第二四四号、明治二十四年十二月十二日)という法令です。
 その第二条に「学校長教諭助教諭舎監書記ハ判任文官ト同一ノ待遇ヲ受ク但学校ノ等位種類等ニ依リ学校長及教諭一名ハ特ニ奏任文官ト同一ノ待遇ヲ受ケシムルコトアルヘシ」という文言があります。(傍線は筆者)
    この「判任文官」というのは下の図のように、いわゆる下級官吏のことでした。一般の教諭はそれと同等の待遇を受けるということになります。

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 一方、「奏任文官」とは、その上に位置するいわば中級または上級の官吏のことです。ほとんどの校長や首席教諭(当時、公式には教頭という職はありませんでした)がこれに相当するということになります。その頃の学校一覧では職員一覧表に、「奏任待遇」という肩書きが付いています。
   このように、中学校の校長や教員は、いわゆる官吏(今の国家公務員)ではなく、その俸給を道府県が負担していたので、「待遇官吏」と呼ばれていたのでした。
 「判任待遇」と「奏任待遇」」では、任命権者にも違いがありました。
 前記勅令の第三条には、「第三条 奏任文官ト同一ノ待遇ヲ受クル職員ノ任免文部大臣之ヲ奏薦宣行シ判任文官ト同一ノ待遇ヲ受クル者ハ府県知事之ヲ専行ス」とあります。
 

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 写真は「夏目金之助 愛媛縣尋常中学校教員ヲ嘱託ス 明治二十八年四月十日 愛媛縣」と記された辞令。漱石は「教諭」ではなく、「嘱託教員」として勤務しました。
愛媛県歴史文化博物館所蔵,
https://www.tripadvisor.co.uk/LocationPhotoDirectLink-g1022352-d1893856-i150888325-Museum_of_Ehime_History_and_Culture-Seiyo_Ehime_Prefecture_Shikoku.html

 

 初任給四十円

  坊っちゃんは、月俸四十円の教員として「四国辺のある中学校」に赴任したわけですが、一月ほどで潔く(?)辞表を出してしまい、結局この四十円の給料をもらったのかどうかは判然としません。
 それはさておき、この「四十円」という額には当時どれほどの値打ちがあったのでしょうか。坊っちゃんはかなりこの「四十円」にこだわっています。

●そんなえらい人が月給四十円で遥(はる)々(ばる)こんな田舎へくるもんか。
(「狸校長」から教育の精神についての談義を聞かされたとき)
●そんなものが出来るくらいなら四十円でこんな田舎へくるもんかと控所へ帰って来た。(生徒が幾何の問題を持って質問に来たとき)
●すると四十円の月給で毎日上等へはいるのは贅(ぜい)沢(たく)だといい出した。(毎日、温泉へ通い、上等へ入っていることを生徒が・・・)

 こう並べてみると、坊っちゃんは「四十円」という額に、必ずしも満足していないようです。
 それでは、他の職業と比べてはどうだったのでしょうか。
   初めに小学校教員との比較をしてみましょう。
  『明治三十八年愛媛県学事年報』には、県内の尋常小学校及び高等小学校教員の俸給についての統計が載っています。(いずれも男子の場合)

尋常小学校
 本科正教員   最多月額三十五円  最少月額 十円
        平均月額十四円
〈高等小学校〉
 本科正教員   最多月額五十円  最少月額 十二円
        平均月額十九.五円 

 次に、その頃の他の職業の初任給を『値段の明治大正昭和風俗史 上』(週刊朝日編、朝日文庫,昭和六十二年)から拾ってみます。
    ・巡査(明治三十九年、東京) 十二円
 ・官吏(明治四十年、高等文官試験合格者) 五十円
 ・銀行員(明治三十九年、大卒) 三十五円

  こう見てくると、「四十円」というのは、まだ各種学校であった物理学校の出身者の初任給としては、ずいぶん恵まれた額だと分かります。
 以上は坊っちゃんの話ですが、これが作者漱石本人の給料となると、さすがに「帝大出の文学士」だけあって、嘱託教員なのに、同じく帝大出の理学士である教頭と並んで、高等師範学校出の校長(六十円)を上回る月俸八十円という、まさに破格の待遇でした。松山時代の同僚たちと比較した次の一覧表を見ると、「学歴が即給料に直結していた時代」であることがよく分かります。

 明治二十八年度愛媛県尋常中学校教職員一覧」
 
凡例:番号 氏名(職名・年齢・担当教科・最終学歴・月給)
                                      ※丸数字は愛媛県内出身者
1住田昇(校長・38・修身・高等師範・60円)
2横地石太郎(教頭・36・化学,物理・帝国大学理科大学・80円)
3西川忠太郎(教諭・36・英語・札幌農学校・40円)
4中村宗太郎( 〃・25・歴史・四高・30円)
⑤中堀貞五郎( 〃・38・地理,物理・物理学校・30円)
6渡部政和( 〃・37・数学・大阪師範中退・40円)
7安芸本吾( 〃・26・博物・帝国大学理科大学選科・18円)
⑧髙瀬半哉(助教諭・?・図画・京都府立画学校・18円)
9弘中又一( 〃・23・英語,数学・同志社普通部・20円)
⑩伊藤朔七郎( 〃・37・体操兼舎監・?・12円)
⑪太田厚( 〃・51・漢文・昌平黌・20円)*
12村井俊明( 〃・40・国語,歴史・藩校・25円)
⑬梅木忠朴(助教諭心得・37・英語・慶應義塾・25円)
⑭山口善太郎( 〃・?・英語・?・13円)
15阿倍元雄(〃・?・数学・物理学校・20円)
⑯猪飼健彦( 〃・?・図画?・?・20円)
17夏目金之助(嘱託教員・28・英語・帝国大学文科大学・80円)
⑱左氏穜( 〃・66・漢文,修身・?・20円)
⑲近藤元弘(〃・48・漢文・?・20円)
20久松定恭(書記・?・?・15円)
⑲寒川朝陽(〃・51・?・12円)
22浜本利三郎(雇→助教諭・31・体操・徳島中学中退・12円)
秦郁彦漱石文学のモデルたち』、中公文庫、二○一四年)

 

 第3章 参考文献 

 *印 国立国会図書館デジタルコレクション

愛媛県立松山東高等学校ホームページ
   (https://matsuyamahigashi-h.esnet.ed.jp/cms/)   

*「官報」明治二十四年(一八九一)十二月十四日
人事院ホームページ 「白書等データベースシステム」
      (http://www.jinji.go.jp/hakusho/h20/045.html
*『明治三十八年愛媛県学事年報』 愛媛県 一九○七週刊朝日編『値段の明治大正昭和風俗史 上』

朝日文庫) 朝日新聞社 一九八七年
秦郁彦漱石文学のモデルたち』(中公文庫)

中央公論新社 二○一四年

 

 

 

 

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  それにしても、校長、教頭とも30代と若いですね。当時、高等師範や帝国大学出の教員はまさにエリートで、若くしてその地位に就き、全国各地の中等学校(中学校、高等女学校、師範学校)から「引く手あまた」といった状態であったと言われています。