往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

母校の校舎・キャンパス今昔 統廃合や移転を経て

地方では、過疎化・少子化などの進行から小中学校の統廃合が珍しくありません。
私の住む市の周辺でも、そうした統廃合のプランのない市町はないと言って良いでしょう。

大学でも定員を大きく割り込むのが常態化していて、「廃学」にならないのが不思議なぐらいの学校が、地方の中小規模私学を中心にたくさんあるというニュース記事を見たこともありました。

 

幸い私の通った小・中・高・大の4つの学校ともに、廃校になってはいないものの、統合移転などで、在学時そのままの土地にあるのは高校だけになっています。

 

○小学校(昭和37~42年・1962~1967)・・・市内のうち、旧社地区内の5つの小学校と一つの中学校が中高一貫義務教育学校になる工事が進行中、2025年(令和7年)4月開校予定

中高一貫義務教育学校の工事進行中(加東市ホームページ)

 

昭和40年(1965)頃の社小学校 校舎はおそらく昭和初年代の建造(ブログ「ふるさと加東の歴史」より)

 

○中学校(昭和43~45年・1968~1970)・・・加東郡社町立社中学校(町内の他の小規模な3校を統合して移転)

現在の加東市立社中学校(Wikipedia

 

 

戦後間もなく建てられた木造平屋の旧社中学校舎(ブログ「ふるさと加東の歴史発見」より)

○大学(昭和49~52年・1974~1977)・・・広島大学(医・歯・薬学部を除き、広島市内から東広島市へ統合移転)

広島市東千田町にあった広島大学本部キャンパス
名前は「広大」だが、キャンパスは「狭大」

本部跡地は「東千田公園」になり、被爆建物として有名な旧理学部一号館のみが残る

現在のキャンパス(広島大学ホームページ)
国立大学で4番目に広いキャンパスとか



 

卒業後何十年も経過しているわけで、建物の建て替えは致し方ないにしても、「場所にまつわる記憶」がたどれないというのは、やはり寂しいものですね。

同じような思いの方もたまにいらっしゃって、今回もそういう方のブログなどから画像を拝借しました。ありがとうございます。

 

今をときめく(?)週刊文春「家の履歴書」(現在は「新・家の履歴書」)と題して、著名人が育ったお家の間取りと,家にまつわる思い出話を連載していたことがありましたが、何時の時代にどんな家屋で育ち、どんな校舎で学んだかというのも、人間形成にとっては結構大切なポイントなのではないかと思ったりします。

 

ちなみに、通った4つの学校のうち大学を除き、他はどれも「木造校舎」

で、トイレはもちろん水洗ではありませんでした。

細かく言うと大学も教育学部は鉄筋コンクリート、文学部の講義棟は木造。

ブログ「移転前の広島大学」より
たしか廊下に「下駄履き禁止」の立て札があった

最後に言わずもがなの一言。

小学校5校と中学校1校が統合すると、当然これまで計6人いた校長さんも一人になってしまうんですね!大規模な学校ですから、校務運営には副校長とか教頭とか複数配置して対応するんでしょうけど、なかなか大変な状況が予想されます。