往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

今日は「成人の日」ですが・・・

2024/1/8 Yahooニュースより

今朝は播磨内陸部の温暖な当地でも、外に停めている乗用車の屋根に、この冬初めてうっすらと白いものが見られました。

 

その昔、「成人の日」と言えば1月15日でしたが、いつ頃からか第2月曜になりました。調べるとWikipedia では2000年(平成12年)からとあります。
また、「成人」年齢も近年18歳に引き下げられ、各地の式典では「二十歳を祝う集い」とか「二十歳のつどい」などと名称も変更されています。
元日に起きた能登地方の大地震のこともあり、今年はマスコミの取り上げ方も控えめのように思います。

さて、我が家では8年ほど前に娘(元日に入籍)が成人式を迎えるにあたり、前の年の秋に着物のレンタル業者の「前撮り」とかいって、東京からそのために帰ってきたことを覚えています。

ところが、我々夫婦はどちらも成人式を経験しておりません。家内は盲腸かなんかで短期入院していたとか。

私はと言うと、当時は大学の冬休みが7日頃までで、授業が再開して1週間も経たずに帰省することになるので、他府県から来ていた学生たち(山口、岡山など近県は知りませんが)の多くは、成人式に帰らなかったのではないでしょうか。

そういう話題を聞いた記憶がありません。中には、一浪、二浪を経験したクラスメートもいたので、それもあったかも知れません。ちなみに親しくしていたH川君(広島市立の中学校長で退職)は、子供の頃の病気と一浪で、私より二つ上でした。(本人が話してくれたのは、卒業後のことで、ずっと一つ上だと思っていました・・・)

昭和50年(1976)山陽新幹線博多開業(ジャパンアーカイブズより)

私の場合は、二年生のとき(昭和51年・1976)に成人式を迎えたわけですが、前の年の秋に博多まで開通した山陽新幹線を利用すれば、姫路からのバスを合わせても4時間ほどで帰れるとはいうものの、往復に特急料金を払ってまで帰り、出席する気持ちはさらさらありませんでした。

 

それよりも、その2年ほど前の、いわゆる受験生のころ(1期校・2期校制の時代)を思い出すと、半世紀経った今では「また、なんでそんなことを考えていたのかな?」と我ながら変に思うのですが、「大学受験に失敗して、浪人を繰り返していると、成人式に出席したときに恥ずかしいな!」という思いがたまに心をかすめていました*1
言うまでもなく、成人式の出席はまったくの任意であるのに、元々の心配性の上に受験を控えて神経質になっていたものと思います。

私立1、国公立2校の計3校に出願していたのですが、滑り止めと思っていた県内のK学院法学部は当日発熱して欠席。
1期校の合格通知が来たのは3月16日。当然、2期校(23日が入試のK外国語大学英米語学科)も欠席。
結局、大学受験は1回きりという、当時でも珍しい受験生ではなかったかと思います。
これは決して自慢ではありませんが・・・・。

 

まあ、そんなことで、おそらく成人式ではスーツにネクタイという出で立ちになっているはずのところが、出なかったためにとうとう卒業式までネクタイを締めたことがありませんでした(笑)
いずれまた、触れるかも知れませんが、ネクタイをしめたことがないのに、3年4年と広島市内の繁華街にあった紳士洋服店のアルバイト(ワゴンセール)でネクタイを売ったことはありました(笑)

 

なお、毎年のように報じられる荒れる成人式のニュースを見聞きするたびに、こんなイベントに公費(税金)を使うのは無駄だというのが時論ではあります!

*1:;。;