往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

「社小学校運動唱歌」を発見!

数年来、昔からの書類、冊子、領収書、パンフレット等々が乱雑に放置されている老父認知症が主因で要介護3(;。;))の座り机周辺を、年末から気が向いたら片付けていると、時々捨てるには惜しいものがあります。
今日たまたま見つけたのは、今から10年ほど前の80代の前半頃に開かれた小学校同窓会の名簿や当日配布資料でした。

その配付資料の中に見つけたのが「社小学校*運動唱歌」です。

昭和12年入学、18年3月卒業なので、入学時は「加東郡社町立社尋常小学校」卒業時は「同 社国民学校」となっていました。

教育史に長年興味があり、調子にのって2冊自費出版*している私ですが、「運動唱歌の名前に記憶はあるものの、楽譜を見るのは初めてでした。

*『「坊ちゃん」に見る明治の中学校あれこれ』『名作でたどる明治の教育あれこれ』(いずれもアマゾンで販売中)

さっそく、ネット検索してみると、「よっしーの畑」(https://hatake19982020.web.fc2.com/)というたぶん同じ兵庫県で淡路にお住まいの方のブログに「運動唱歌の記事がありました。
次のような説明があります。 なお、旋律は全く同じです。

兵庫県下の数多くの小学校で歌われていた運動唱歌です。曲(メロディ)は御影師範附属小学校で作られたようです。それぞれの小学校で、その地域(校区)らしい言葉を盛り込んで歌詞が作られました。運動会の行進曲として使われ、子ども達は歌いながら行進しました。」

次に「国立国会図書館デジタルコレクション」と「日本の論文」でも検索してみました。
「運動唱歌そのものを扱った論文は見つかりませんでしたが、国会図書館では堀清助 著『小学生徒運動唱歌法』(大辻文盛堂,明19.12.)が見つかりました。

以下に「運動唱歌」について言及した論文の一部抜粋してみましたが、この本はやはりその年に諸学校令を公布した初代文部大臣の森有礼の政策に沿ったものだったようです。

子供たちが組織的な行動ができるようになっている。学校教育は、唱歌による行進などを教え、国民に相応しい身体行動を育てていきます。
 この『 小学生徒運動唱歌』 は、「運動遊戯の間に之を和唱せしめ児童の悪習卑風を矯正するの材料に充てんとす」 との緒言からも読み取れるよう に、一八八七年に森有礼が提唱した兵式体操につらなるものです
  (大濱徹也「身体の近代史」『北の丸 : 国立公文書館報. (41)』国立公文書館、2008-12)

ただ、今回見つかった曲は明治のものではなく、「ドッジボール」の名称は大正末期からだそうなので、昭和に入ってから作られたものではないかと思っていましたが、加東市中央図書館で母校社小学校や近隣の小学校の百年史をパラパラめくっていると、大正時代半ば頃に在籍していた人の回想文中に「運動会の終わりに『運動唱歌』を歌いながら総行進した」という記述を複数見つけました。

「昭和に入ってから~」はどうも誤りのようです。大正時代から各小学校で運動唱歌は作られており、その後歌詞に若干の手直しがあったものと見られます。

 

「運動」唱歌ですから、歌詞のほうも「運動場 遊ばまし」(2番)、「山に登らん 野辺に遊ばん」(3番)「ドッジボールにかけくらべ 縄跳び鬼ごと」(6番)などと「運動・遊技」に関連する語彙が見られるのは当然ですが、次のように地元の地理歴史関連の文言がみられるのも特徴的です。

「御霊の森 千鳥川」(1番)「(赤穂)義士の話 観音寺(墓所)」(4番)「五峰山」(6番)
そして、終盤は本来の唱歌」的(修身科と連動した題材)な文言で締めくくってあり、近隣の他の小学校の歌詞も、ここは共通したものになっています。
「磨かば光る玉剣」(7番)「知識を磨き身を修め」「御国とためとつくす」(8番)

旋律については、どこかで聴いたか見かけた気がしますが、今のところ思い出せません。ただ言えることは、1拍が「付点8分音符+16分音符」で表され、飛び跳ねているような感じを与える、いわゆる「ピョンコ節」(「鉄道唱歌」がその典型)であり、たしかに歌詞は少し難しいですが、小学生にとっても自然で覚えやすい歌ではあったことでしょう。

今日の「往事茫々」はブログ子みずからのものではなく、3月に93になる老父のそれになってしまいました・・・・