往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

コラム20  「明治のトンデモ校則②」

その2「小説読むべからず!」

 

    明治四十二年(1909)の『東京府立第四中学校一覧』の「生徒ニ関スル諸規定」には稗史小説等の書を読むべからず」の一項があります。
(下の画像)

(註)「稗史」(はいし)・・・昔、中国で稗官が民間から集めて記録した小説 風の歴史書。また、正史に対して、民間の歴史書。転じて、作り物語。小説。

 

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 たしかに府立四中(現在の都立戸山高等学校)は一中(現在の都立日比谷高等学校)を追い越すことを念頭に、猛勉と規律を強制して、当時は「死中」と呼ばれるほどであったとは言われています。
 しかし、この規則は府立四中に限ったことではなく、明治後期の中学校の生徒規則や生徒心得に多く見られるものでした。

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(現在の都立戸山高等学校,

http://www.matsuda-kk.co.jp/business/results/detail.html?id=0000021

 なぜ、小説は禁止されたのでしょうか。
 それは作品の内容が問題視されたからでした。そのあたりを『東京府立中学』(岡田孝一)は次のように述べています。

 江戸以来の文学を明治の府立中学が禁止した理由として、男女の問題はタブーとされた中学において、劣情を刺激する本は学習の妨げとされたこと、また西洋に追いつけ追い越せを国是とした当時の日本にあって、生徒を江戸文化から意図的に切り離そうとしたことなどをあげることができよう。

 さらに付け加えると、明治末期あたりから盛んになった自然主義文学が、やはり文部当局には「有害」と見られていたことがあると思われます。
 (そんな中で夏目漱石草枕は「有益」とされたのでしょうか、早くも明治四十四年(1911)に有名な冒頭部分が国語教科書に登場し、以後長らく定番教材となりました。)

 重要な背景としては「学生の風紀頽廃」が叫ばれる中で、「家庭・地域・学校を含む規律・管理の強化」を指示した明治三十九年(1906)の文部大臣牧野伸顯の訓令第1号が現場に大きな影響を及ぼしたことが挙げられます。

 学校が禁止していても、家でこっそりと読めばわからないだろうと思うのが普通でしょうが、実は各学校とも校外での生徒取り締まりの一環として、「巡視」や「査察」を行っていました。
 中でも「査察」は通常の家庭訪問ではなくて、抜き打ち式に行われ、その目的は「勉学状況」「家族の状況」把握のみならず、「教科書以外の読み物」(新聞、雑誌、小説)の調査まで含まれていたということです。

 

 # 「査察」というのは嫌な響きですね。学校教育には似合いません。どれほどの実効力があったのかわかりませんが、命じられる担任教員はどんな気持ちだったのでしょうか。