往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

コラム11  「鉄拳制裁」

    鉄拳制裁。『日本国語大辞典』には、「げんこつで殴って懲らしめること」とあります。
 校規違反をおかしたり、学校の体面を傷つけるような破廉恥な事件を引き起こしたりした下級生(同級生の場合も)に対して、上級生が行う「私的制裁」(リンチ)のことです。隠語では「タコをつる」などとも言ったようです。
 背景には、「生徒自治」の美名の下に、学校当局が生徒自身による規律維持を半ば公認していたという側面もありました。
 明治三十五年(一九○二)の兵庫県立神戸中学校(現在の県立神戸高等学校)では、五年生が中心になって次のような制裁規約を定めました。

 第一条  本校ノ校則ニ違反シ、イヤシクモ学生タルノ体面ヲ毀損シタルモノハ制裁ヲ行ウ
  第二条  制裁ノ種類ヲ分カチテ忠告及ビ絶交ノ二種トス   
     (「壬寅(じんいん)規約」より 以下略 太字筆者)

 『神戸高校百年史』(平成九年:一九九七)は、規約制定の目的を、最上級生が校内の気風刷新を図ろうとしたことだとした上で、その当時、鍛錬主義とも言われたスパルタ教育が背景にあったと分析しています。

 倉田百三(明治二十一年~昭和十八年:一八八八~一九四三、広島県出身の劇作家・評論家、代表作に『愛と認識との出発』、『出家とその弟子』など)は、自伝的作品『光り合ふいのち』新世社、昭和十五年:一九四○)の中で、凄惨な制裁の様子を生々しく描いています。

  

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(三次中学時代の百三-後列右から4番目-と柔道部員、

庄原市ホームページ、「倉田百三について」よりhttp://www.city.shobara.hiroshima.jp/main/education/shisetsu/cat01/02/post_226.html)
  
それは上級生の運動家で、男色家で、校内で一番幅を利かせていた野蛮な、横田という寮生を、吉本という通学生の硬骨漢が発頭になって、同級生一同とはかって校庭でリンチした事件であった
(中略)
  吉本君はいきなり木刀で横田君の頭を打つと、「みんな来い来い」と招いた。たちまちにして方々から同級生たちの姿があらわれ、横田君は仆(たお)されて、頭を抱(かか)えて地上に横たわり、皆がとり囲んで足蹴(あしげ)にした。
 (中略)
  リンチが終ると、その級の人たちは、「皆講堂に集まれ集まれ」と呼び廻った。そして全校生徒は学校当局からのふれの如くに、講堂に集まった。
  吉本君はどもりであったが、壇上に立って、今日横田をリンチした理由を述べて、反対の者は言えと言った。反対を申し立てるものは無かった。
  生徒監や、日頃叱咤(しった)する体操教師たちは講堂に侍立(じりつ)してるだけで、この非合法の集会を解散させることは出来なかった。        
             (傍線・ふりがな筆者)

   

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 これは、倉田が広島県立三次(みよし)中学校(現在の県立三次高等学校)に在学した明治三十四~明治四十年:一九一~一九○七)の間に体験した事件をもとにしたものだということです。
 教員の側の対応として、「生徒監や、日頃叱咤する体操教師たちは講堂に侍立(じりつ)してるだけで、この非合法の集会を解散させることは出来なかった」とありますが、百年以上も前の話とは言え、強い違和感を覚えるのは筆者だけではないでしょう
 
こうした上級生による下級生に対する支配、いわゆる年長者支配の体質は、我が国の軍隊や学校で根強くはびこったと言います。
 残念なことに、こうした悪弊はその後の軍国主義の拡大と共に、旧制中学校末期の終戦直後まで全国各地の中学校で見られたということです。

 ちなみに、小説では、久米正雄『鉄拳制裁』(『学生時代』所収、大正七年:一九一八)、下村湖人次郎物語』(昭和十六年~二十九年:一九四一~一九五四)、嘉村礒太『途上』(昭和七年:一九三二)などの作品において、旧制の中学校や高等学校における鉄拳制裁がテーマや題材に採り上げられています。

 

 

 

#  ネットでたまたま見つけた贔屓の落語家さんの地方公演と日本最高峰のプロ合唱団の神戸公演。どちらもチケット購入が出来ました❗️

 
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