往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

中学生の頃憧れた職業は・・・

先日、家人が押し入れから私の中学の卒業アルバムを探し出してきました。
昭和46年(1971)ですから、53年前のものです。
もちろん白黒。たしか3年後の高校のアルバムも同じく白黒でした。
4クラス140数名は、地元小学校からそのまま同じ中学へ進んだので、転校生以外はほぼ分かっていると思ったら、なんとなんと!「エー!?こんな名前の子(女子に多い)いたかな?」というのが多いのにびっくり!

さて、今回の話題である「中学生の頃憧れた職業」は、なんと警察音楽隊だったのです(笑)

(兵庫県警音楽隊)

長らく忘れていたのですが、最近Facebookで「友達の友達」のある人が、兵庫県警音楽隊の演奏を聴きに芸術文化ホールを行かれたことを投稿されていたのを見て、思い出したのでした。

 

中学校の音楽のI先生に誘われて(引き抜かれて?)たった三日間のテニス部からブラスバンドに入って以来、中高と計5年ほど吹奏楽部に在籍していました。


中学2年から3年の頃(昭和44、45年)だったでしょうか、近くの西脇市民会館(当時田舎に市民会館があったのは播州織で栄えたこの町だけでした)へ吹奏楽の演奏会を聴きに行きました。
天理高校自衛隊音楽隊、警察音楽隊などだったと思います。
すっかり魅せられてしまい、漠然と憧れていました。田舎の中学生のことで、どうすれば入れるのかの情報もなく、何よりもあまり楽器(トロンボーン)も上手くなかったので、どだい無理な話ではあったのですが。

西脇市民会館 建築学的にも有名な建物だったとか

ブラスバンド部の一級下のM君は工業高校を出て警察官になり、若い頃音楽隊配属になっていました。

毎日新聞HPより

ユーフォニウムでまあまあ上手な方でしたが、「エー?彼が音楽隊に?」と正直に言って意外でした。

 

私の場合は、3年の後半頃には、音楽隊への憧れははどこかへ消え去ってしまっていました。

それは、何かほかに将来の夢があったからではありません。

大学受験のとき、志望学部が3つバラバラだったと前回投稿しましたが、その後もコレといった職業への思いはなかったように思います。

ただ、高校時代には日本史、社会学(のようなもの)、心理学(のようなもの)には漠然と興味を抱き、文学部系統への進学を考えていましたが、教育学部(教員養成ではない)を卒業して高校教員になったのも、いわゆる「なりゆき」か「でもしか」の結果だったでしょうか。

 

とりとめもなく書いているうちに、そういえば小学校の高学年の頃はパイロットに憧れて、航空雑誌を読んでいたなと思い出しました。

運動神経もなく、その後強度の近眼になったので、全くの夢想で終わりましたが(笑)

 

「身の程を知る」ということが分かっていないのが、逆に子供の頃の特権なのでしょうが・・・・。