往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

ふるさと山国(やまくに)の今昔あれこれ【番外】 山国村と山国町

本ブログで最初に取り上げたのは、当地区の「山国」という名称についてでした。

「山国」という地名について  ふるさと山国(やまくに)の今昔あれこれ1   
   https://sf63fs.hatenablog.com/entry/2024/04/19/164927

以前から気にはなっていたのですが、全国を見渡すと「山国」という村や町が二ヶ所あったことを、このたび再確認しました。

一つ目は、京都府北桑田郡にあった山国村(やまぐにむら)です。
いわゆる京北地域にあり、現在の京都市右京区京北井戸町・京北大野町・京北小塩町・京北下町・京北辻町・京北塔町・京北鳥居町・京北中江町・京北初川町・京北比賀江町にあたります。
昭和30年(1955)周山町・細野村・宇津村・黒田村・弓削村と新設合併して京北町が発足。同日山国村廃止。

地域の説明とその魅力をアピーするホームページより抜粋してみました。

面積は大阪市とほぼ同じ
京北は京都市の北西部、「桂川」の源流域に位置しています。
総面積は217.68k㎡、例えるなら大阪市とほぼ同じくらいの大きさ。その広大な地の93%が森林に占められた、緑あふれる環境です。
この地域は、古来から良質な木材の生産地として有名なエリア。長岡京平安京の造営時や京都御所炎上の際には、膨大な量の建築用材が桂川保津川を経て【筏流し】で運ばれました。それ以降も、都へ木材を供給していたことから、現在に至るまで木材の名産地としてその名を知られています。  
豊かな自然と清流、歴史に出会えるエリア
京北の自慢は、どこを訪れても豊かな自然と美しい清流に出会えるということ。地域の中央を流れる「桂川」のきれいな水の恵みで、鮎やアマゴが獲れるほか、美味しいお米や新鮮な野菜もたくさん収穫できます。また、京北は日本の食卓には欠かせない「納豆」発祥の地でもあり、古くから各家庭で納豆が手づくりされてきました。郷土料理である「納豆餅」も名物として人気を博しています。
そのほかにも、「常照皇寺」など歴史ある神社仏閣や、明智光秀が築いた総石垣づくりの大規模な「周山城址」など、多くの史跡を擁しているのも魅力のひとつです。
   https://kyoto-keihoku.jp/about/

この地で、歴史に名を残すのは、幕末期に丹波国桑田郡山国郷(現・京都市右京区)で結成された農兵隊「山国隊(やまぐにたい)」で、因幡国鳥取藩に属し、官軍に加わって戊辰戦争を戦いました。

このように、その名の通り「山国(やまぐに)」と称するのにふさわしい土地柄であるようです。

 

二つ目は、大分県山国町(やまくにまち)です。ここも、その名にふさわしい地勢です。

ウィキペディアWikipedia)』から抜粋してみました。

山国町(やまくにまち)は、かつて大分県北西部、下毛郡の西端にあった町である。2005年(平成17年)3月1日に中津市編入合併した。
一級河川山国川が町の中央部を貫通し、その源流である町の北部の英彦山をはさみ福岡県と接する。距離的に中津市市街地には遠いため、日田市の経済圏に属している。
歴史
1951年(昭和26年)4月1日 - 下毛郡溝部村、槻木村、三郷村が合併し、山国村(やまくにむら)が発足。
1958年(昭和33年)4月1日 - 町制施行し山国町となる。
1996年(平成8年)3月 - コアやまくに完成。
2005年(平成17年)3月1日 - 中津市編入され消滅。
町内を鉄道路線は通っていない。最寄り駅は、JR九州久大本線日田駅
中津市山国町国勢調査(2020年)人口は2,012人、前回調査の2015年人口は2,361人で、349人の大幅減となっています。

地域の魅力を発信するホームページから。
 

万葉の里・やまくにのそこかしこに美しい自然があふれる
山国町山国川最上流に位置する渓流の町。
町の半分以上が標高300m~1,000mにある緑に囲まれた町。
筑紫溶岩台地中の最高峰”英彦山”がある。
平安期以降英彦山霊仙寺の支配を受け、信仰の地としてにぎわいを見せた。
また、古くからの交通の要衝としても重要な役割を果たしている。
奇岩、怪石も多く、その渓谷美やブナ林などが繁る自然美は訪れる人を楽しませてくれる。

 

当地区の「山国」大字であるのに対して、上記の前者はかつての行政村、後者はかつての自治体でありました。同列に論じるのはおかしいかも知れませんが、当地区とは全く地形、地勢の異なるまさに「山国」でありました。