明治末期生まれのお婆さん同士の日常会話を再現してみました。
今からおよそ60年前の、昭和40年(1965)前後と仮定すると、筆者は小学4年生ぐらいで祖母は六十歳ぐらいでした。
以下は、秋晴れの日曜の朝、孫の運動会を見に行こうとしているお婆さん(A)と同年配の知人(B)との会話と思ってください。
B まあー、○○はん、せんどぶり①やないの!朝からどこ行きだいな②?
A うち③なあ、孫の運動会見に行っきょんねんわ。
B あんたとこの孫さん、何年生になっとりいの④?
A はや、なあ、5年生やわ。
B せー⑤も高いし、よう走りいねんやろ?
A よう言うてやわ、そんなことあらへんわな。
B ほな、気いつけて行きないよ⑥。
A へえ、おおけに。
(いったん分かれてから)
B ああ、これこれ、忘れとったがいな⑦。お豆腐屋の○○はんがなあ、「今度、ゆめどの⑧(夢園)温泉行きいないか⑨?」言いよりいねん。あんたも行きいないか?
A そやなあ、あいの日⑩やったらなあ。ええねんけどな。
B ほななあ、よう考えといとうな⑪。
いかがでしょうか。当地方の方が見られても「今頃、こんな言葉使わへんわ」とお思いのことでしょう。
丸山三郎『北播磨の方言ー地理・歴史と言語ー』(BOOKBOX出版部、1983年)を参考に少し説明をしていきます。
○語彙
①せんどぶり 久しぶり
③うち わたし
⑤せー 背・身長
⑩あいの日 平日
○文末表現
②どこ行きだいな? どこに行くの?
④なっとりいの? なってらっしゃるの?
⑥行きないよ。 行きなさいよ。
⑦忘れとったがいな。 忘れていたわ。
⑨行きないか? 行きませんか?
⑪考えといとうな。 考えておいてね。
このうち、④の「~とり(い)た」と⑨「~ないか?」は上記丸山氏によれば、北播磨地方のうちでも、旧加東郡の社地域に特有の語法だそうです。
氏は「行っとうな」「行きないか」は、「そのことばの中心が社町社(田町付近ともいわれる)・山国・松尾あたりである・・・・」と述べて、いわゆる「社ことば」の典型とされています。
また、「社ことば」には、文末に注目すると次のような特徴が見られるとも述べられています。
1、とうな型(してほしい) ・・・・願望・希望
2、とりた型(しておられた)・・・・尊敬
3、ないか型(しませんか)(しなさい)・・・・勧誘・命令
4、よりの型(しているの?しておられるの?)・・・・疑問
○ザ行・ダ行の混同⑧
これは当地域に限らず、現在の加東市、加西市、西脇市と広く見られた現象のようです。
ぞの(ZONO)→どの(DONO)
よくある例には、「雑誌」(ざっし・ZASSI)が(だっし・DASSI)、「全然」(ぜんぜん・ZENZEN)が(でんでん・DENDEN)があります。
この夢園温泉は千鳥川の畔にあり、温泉に入った後に飲食をしながら大衆演劇が楽しめる施設で、昭和40年代に流行ったヘルス・センターの一つでした。(いつ頃まで営業していたかは不明です)
明治生まれのお婆さんたちは、自転車に乗れないのが普通で、当地区から2キロ弱のこの温泉へ、連れだって歩いて行き、半日遊んでくるというのが流行っていたようです。
現在、六十歳と言えば、現役で働いておられる方がほとんどでしょうが、六十年前の60歳は、筆者の祖母に限らず本当に「お婆さん」と呼ぶにふさわしいような人たちだったように思い出されます。