往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

ふるさと山国(やまくに)の今昔あれこれ31  北向き地蔵(縁切り地蔵)

お盆に入りました。数日前は朝夕に北風が強く、昼間はともかく酷暑もピークを過ぎたかと思っていたら、本日は最寄りのアメダス兵庫県西脇市)で「39.5度」を記録していました。

 

現役時代と定年後合わせて11年間、県道85号線(神戸加東線)を通って三木市内へ通っていました。
南向きに走っていて、妙仙寺下を過ぎ、出水川を渡ってすぐの右手にお地蔵さんがあるのは知っていましたが、それが「北向き地蔵さん」で道標を兼ねていると知ったのは、本市選出の県会議員・藤本百男さんのブログによってでした。

 

猛暑対策に簾がかけられていました(2024/8/11撮影)

山国の県道脇の北向き地蔵さん

 

加東市山国の集落の中心部を通っている県道神戸加東線を神戸方面に向かって走ると、出水川に架かる橋を過ぎて上り坂にさしかかった右側にお地蔵さんが祀られています。車が一台止められるぐらいの広さの砂利の敷かれた平地の隅に石造の祠と菅笠を被された小さな地蔵さんがあります。お地蔵さんに掛けられた赤いよだれ掛けは遠くからでも目につきます。このお地蔵さんは山国の集落の南に位置しており、ちょうど出水川の谷を挟んで北の方角にある山国の村を見守っているように見えます。

ちょっと失礼して、小さいお地蔵さんのよだれ掛けをめくってみると、やはり道標でした。「左 やしろ 右 きよみず」の字が刻まれているのが読み取れます。一方、石造の祠の両脇の石板の前面にも字が刻まれており、道標になっています。「左 小田□□」「右 下□ん□□」とかろうじて読めるような状態です。おそらく、小田(小野市)、下番(小野市)方面を指しているのではと思います。板の横面を見ると、建立年が刻まれていました。「文政二年」の文字が読み取れます。西暦では1819年ですから、約200年前のものです。

よだれ掛けを掛けられた小さな地蔵さんが祠の前にも4体あります。この道を通る人がいろいろな願いや祈りを捧げてきたことでしょう。今では車が走り抜けて行きます。
 
2014年10月14日 

 

「石造の祠の両脇の石板の前面にも字が刻まれており、道標になっています。「左 小田□□」「右 下□ん□□」とかろうじて読めるような状態です。おそらく、小田(小野市)、下番(小野市)方面を指しているのではと思います」

上記引用部分の中で、「左 小田」(小野市小田町)「右 下番」(小野市住吉町)というところが気になって明治終わり頃の地図を見ると、下のように当時はこのお地蔵さんの所で、道が二叉に分岐していたことがわかり、納得しました。

(左:明治43年〈1910年〉の2万分の一地図「社」、右は現在の地図)

 

この北向きのお地蔵さんには、「縁切り地蔵」という言い伝えもあったそうで、当地区の郷土史家・故藤本義秀氏が書き残されている文章がありました。以下はその抜粋です。

(前略)いつの頃からか、「縁切り地蔵」との名が付けられ、嫁入りの列はいうまでもなく、結納を交わす時もこの地蔵の前を通らず迂回することが山国の村での習慣として定着した。今となっては理由は定かではない。(藤本義秀)
「やしろ歴史民俗研究会20周年記念誌」2009年

 

なお、「北向き地蔵」という言葉で検索してみると、「日本全国にお地蔵さんは星の数ほど祀られていますが、ちゃんと北向きに建てられているのは、全国でも400体ほどしかありません。 ですから、北向地蔵は、珍しい存在にすらなっています」という記事もありましたが、そもそもこの400という数字も失礼ながらアテにはならないことでしょう。

また、珍しいだけではなく、御利益もあるとのことですが、残念ながら現在のところ、それ以上のことは分かりません。

おいおい、気をつけて調べてみようとは思っています。