往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

ふるさと山国(やまくに)の今昔あれこれ49 農業③ 田植えの移り変わり

江戸時代までの田植えは、一人一人がおよその見当で苗を植えていく「乱雑植え」でした。

明治時代に入り、政府の奨励などもあって「正条植え」が普及していきました。
田打ち車(除草機)を入れやすくするためと、日当たりや風通しを良くして稲に病害虫がつきにくくするためでした。

江戸時代(元禄期)の田植え 農林水産省ホームページより

正条植えの初期のワク。三角柱のワクで、水田をころがして跡をつけ、桝目の交点に苗を植える。(砺波正倉ホームページより)

 

令和6年(2024)現在、当地区ではため池の樋を抜いて用水路に水を流し始めるのは、例年6月5日と決まっています。多くの農家では6月中旬には田植えを終わりますが、機械化以前は麦の収穫が終わり、6月下旬に入ってから開始し、耕作面積にもよりますが、1週間以上は要したようです。
泥田の中で、一日中うつむいての作業は相当な重労働でした。作りの多い農家では、手伝いの人を頼んだり、幼児が居る場合は子守りを頼むなど、それこそ一家を挙げて作業に当たったものでした。

南隣の東古瀬地区における昔の田植え
牛を使った代かきをしているので、昭和20年代であろうか。

そうしたこともあって、当地区では昭和の初め頃から、妙仙寺に農繁託児所が設けられました。戦後の椿山保育園開設につながる動きでした。

この件については、下記をご参照ください。

ふるさと山国(やまくに)の今昔あれこれ35  妙仙寺② - 往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・ (hatenablog.com)

また、昭和30年代の半ば頃までは、小学校(4年生以上)と中学校には「農繁休暇」といって、田植えと稲刈りの頃に1週間程度の休業期間がありました。

「猫の手も借りたい」という言葉がありますが、小中学生も貴重な労働力だったのでした。

sf63fs.hatenadiary.jp

歩行形田植え機が使われ始めたのは、昭和40年代の終わり頃(1970年代半ば)からでした。

初期の歩行型田植機 (株式会社クボタのホームページより)

その後、耕運機からトラクターへの進化と同じく、田植機にも乗用型が登場しました。昭和の終わりから平成の初め頃(1990年頃)のことでした。
現在、当地区では4条植えの機械が主流で、側条施肥や農薬散布を同時に行うタイプも現れました。

4条植えの田植え機による作業(令和5年・2023)後方は賀茂神社の森



その昔は、一家を挙げての大仕事であった田植えも、今や会社勤めの夫婦二人が土日で作業完了という家庭も少なくありません。

 

そして、これは全国的に行われていたようですが、村中の田植えが終わる頃、「さのぼり」(「さなぶり」とも)といって、慰労のために村全体でとる休みをとる習慣が古くからありました。
現在でも、6月下旬の週末には、防災行政無線により区長からその旨の放送があります。

もはや、若い人にはよく分からない言葉になっているかも知れません。