※地元地区における昔の農作業の写真は希なため、近隣他地区のものや農機具メーカーのホームページなどのものを使用しています。ご了承ください。
加東市社の佐保神社の秋祭は嘗て長らく10月15・16の両日に催されていました。(現在は10月の第2土・日)
当地区やその周辺の農村で稲刈りが始まるのは、この祭礼が終わってからでした。
自然乾燥が終わると脱穀作業を行います。
昭和戦前期でしょうか? 加東市滝野地区において
『目で見る小野・加東の近代100年』より
籾は家に持ち帰り、各家で門干しをした後に籾すりを行いましたが、発動機は複数台を各村で購入していたようで、各農家を順に廻っていました。
昭和40年代(1965年以降)にはそれまでの人力による稲刈りから、「バインダー」と呼ばれる動力刈取機があちこちで使われ始めました。この機械には刈り取った稲束をくくる結束機能がありました。
コンバインの入りにくい棚田などでは今でも活躍しています。
“結合された”という意味の英語“combined”を語源とする「コンバイン」が昭和50年代の半ば頃(1980年頃)から普及してきました。
稲や麦を刈り取りながら、同時に脱穀することもできる機械で、作業の省力化に大きく貢献し、秋の田んぼの光景が一変する程の画期的なものでした。
その昔、一反歩の田んぼを二人で手刈りすると丸一日かかったと言われていますが、大形のコンバインともなると一時間ほどで刈り取ることができます。
その分、ずいぶんと高価な農業機械で、2条刈りだと2百万円台、3条刈りなら3百万円台と言われており、中規模程度の農家では米代のほとんどは機械代の支払いに消えるほどです。