往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

ふるさと山国(やまくに)の今昔あれこれ42 昔、バスが走っていた!

昭和46年(1971)から3年間の高校時代、社ー小野間を神姫バスで通学していました。
梅雨期の大雨のときだったと思いますが、普段は自転車で行くところを、一度か二度、山国(1)から神姫バス社営業所(当時)までバスに乗った記憶があります。
天神ー小田ー社間の路線で、当地区内の県道御坂社線(当時は未舗装、現・神戸社線)をたしか朝夕の2便、中型のバスが走っていました。
それ以前にも運行されていたのでしょうが、小・中学生時代には走っているバスを見かけた記憶はありません。
家人によると、昭和50年代の後半にはまだ走っていたというのですが、後に見るように路線の認可は戦前には下りていたようですが、実際の運行期間はそれほどは長くなかったのではないでしょうか。
今思うと、戦後のモータリゼーションの著しい時代で、利用者も少なかっただろうに、よく運行されていたものだなあというのが正直な感想です。

調べてみると、戦前から社ー天神(現・加東市天神、旧東条町の中心)間に下記のように、米田地区を経由する路線の他に当山国地区を経由する路線がありました。

昭和初期のバス(日本バス協会ホームページより)

(戦前の加東郡内バス路線図 『新修加東郡誌』より)

昭和十年頃、神姫自動車は小野ー社ー東二見線を中心路線とし、一日十五往復もの運転をしている。そのほか社ー天神ー相野(2)に六、七回、天神ー大門に四回、社ー滝野にも路線をもった。姫路自動車は社の三木徳商店のそばに車庫があり、二八年型のフォードが姫路まで五往復した。              
播丹鉄道(3)バスは、天神ー三田、天神ー社、天神ー大門、天神ー粟生、天神ー山国ー西脇など、天神と池田(現小野市)に車庫をもって天神中心の路線をもった。これらはいずれも一日数回であった。(中略)
昭和十八年までに、これらのバスはすべて神姫自動車が譲り受け、郡内のバス企業は神姫自動車一社だけとなった。
『新修加東郡誌』通史編第5章 近代の加東郡(交通)

昭和18年〈1943〉に現在の神姫バスに買収される以前の播丹鉄道自動車部の路線図
神姫バス70年史』より)

この写真のような中型のバスが運行されていました。
(『日本路線バス総合カタログ』より)

神姫バス70年史』には、昭和25年(1950)当時の全路線図が掲載されていますが、この社ー山国ー天神線は見当たりませんでした。
ここからは推測ですが、戦時中のガソリン事情の逼迫により、元々利用者の少ない路線でもあったことから休止になり、戦後もしばらくはそのままだったのでしょう。

 

令和6年(2024)現在、「山国」の付くバス停が二つありますが、「山国東野」加東市藤田、「山国南山」加東市久米にあります。
(三田方面の乗り場の所在地は上記のようになっていますが、逆の社方面の乗り場は山国地内にあるのかも知れません)

神姫バス株式会社ホームページより

(注)
1 県道端の現・山本邸前に停留所があった。当時は友原商店として、いわゆる「よろず屋」的な存在であり、小学生時代は駄菓子やアテモン(懸賞付きのくじ)が楽しみでした。
2 この路線は、後の県道西脇三田線を通り、米田地区を経由していたものです。
3 播但鉄道は昭和 18 年( 1943)姫路 ― 舞鶴 (軍事基地.的存在 )を結ぶ重要路線として、買収・国有化された。また、同社の自動車部も同年に神姫自動車に買収された。

]

(参考文献)
『新修加東郡誌』加東郡教育委員会、1974年
神姫バス50年史』神姫バス株式会社、1979年

神姫バス70年史』神姫バス株式会社、1998年
『日本路線バス総合カタログ』日本バス友の会、1985年