一 村方
竪東西三拾七町 内廿三丁半山国村領ニ而入相野入組
横南北拾七丁 但余田境より社村境迄
但村境ハ西ハ社村松尾村田畑を境東実村畑林沼、南ハ様塚よりおくひさき迄一筋之通道を限、北ハおくひ先より社村境塚迄大道限り山国村領内此内南広沢よりわらしか池堤道限り原田六ツ塚より東江おくひさき迄但三方道ヲ限、松尾村東実村山国村立会之草場此内ニ山国村松尾村新開御普請所並七ケ村入相草場入組有、右山国村領之内社村田中村鳥居村東実村松尾村山国村草入相場境目塚御座候
村境がどこにあったのか、北、西については社、東実、松尾の各村との境ははっきりしていますが、南については「様塚」から「おくひさき」までの道というのが、現在の小字にはなく不明です。
東についても同様で、東西の距離が「三拾七町」(約4キロメートル)とありますが、これはいわゆる嬉野の原野に当たる部分を含んでいないと思われます。
一 御高札場(1)壱ケ所 但道端ニ有之
一 郷蔵(2) 弐カ所
内 壱ケ所長三間横弐間石盛郷蔵屋敷之内ニ有
此敷地屋鋪拾弐歩高四升古来より御引高壱ケ所長三間横弐間 庄屋義左衛門屋鋪之内ニ有
此敷地上田拾弐歩 高壱斗七合古来より引高
一 切支丹類族先年より無御座候
一 献上物類無御座候
一 近所村々名
松平大和守様御知行所 松尾村
同御知行所 上小田村
殿様御代官所 下小田村
小野左太夫様御代官所 社村
同御代官所 浮坂□□
土岐丹後守様御知行所 藤田村
鈴木源五右衛門様御知行所 屋度村
松平右近将監様御知行所 下番村
同御知行所 東実村
同御知行所 木梨村
一 鉄砲三挺 但威筒(3)
内 壱挺 玉目三匁三分
内 壱挺 玉目三匁弐分
内 壱挺 玉目弐匁
一 酒屋(4)弐軒
内 酒株元七拾石近年酒造高弐石五斗 新六
酒株元弐拾八石近年酒造高三石 当分酒造相止居申候 儀兵衛(4)
一 立会草野之内
新田畑高三拾九石壱斗壱升壱合 山国村分
此反別八町三反弐畝拾五歩
一 右同断
請山(5)弐拾町内 拾六町 山国村分
四町 松尾村分
此山手銀銀拾八匁
右者千種清右衛門様(6)御支配所
右新田享保十八丑年千種清右衛門様御検地請申候、但用水新溜池壱ケ所上小田村下小田村山国村松尾村立会自用ニ築立候得共水溜り不申候、其外天水場用水無御座稲作一切仕付不申、以前之通□地ニ罷成候、畑方も過半作付得不仕候、少々当作有之分ハ大形近村江為作罷在候、近年困窮ニ付本田畑も荒作ニ成候躰故新田江屎手入得不仕候
一 庄屋給米村高ニ壱分其外高弐拾石分村夫人足役除キ申候
一 年寄給米無御座候、近年ハ米五斗つつ相渡申候、其外高拾五石分村夫人足役除キ申候
一 定夫(7)弐人給米三石
一 郷蔵添番弐人給米壱石
一 水入給米六石
一 山番非人番作番給四石
一 医者壱人御座候
一 桶結弐人御座候
一 紺屋弐軒御座候
一 大工三人御座候
一 非人番(8)壱人差置キ申候
右者村方之儀明細書付差上申候通相違無御座候
以上寛保弐年戌十一月 播州加東郡山国村
年寄 勘兵衛 印
同 八郎兵衛 印
庄屋 義左衛門 印
同 直次郎 印渡辺民部様 御役所
最後に、百姓以外の職業に就いた者の人数が挙がっています。
藩領のすべての村が報告しているわけではありませんが、大工3人は村の規模からすると妥当な数かと思われます。
医者1人となっています。藩領で医者(この当時ですから、漢方医でしょうが))の存在が報告されているのは、当村以外では、多可郡の喜多村(現・西脇市黒田庄町)と美嚢郡沖村(現・三木市吉川町豊岡)の二村です。
これは、90年ほども後のことですが、天保4年(1833)の加古川筋百姓一揆の際に、当村の医師兼銀貨の坂田烏渓、同孫三郎が被害に遭っていることから、村明細書記載の医師は同家のご先祖にあたる方ではないかと思われます。
(注)
1 幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所
2 江戸時代、年貢米の保管、または凶作に備えての貯穀のためなどに村々に設置された蔵。
3 農作物を荒す猪、鹿、鳥などをおどし追い払うためにうつ空砲
4 享和2年(1802)の資料にも「加東郡山国村庄屋儀兵衛」の名があり、「休株」となっているので、酒造株は所有しながら長年酒造を行っていなかったようだ。
もう一人の新六のほうも、実際の酒造高は極めて少なく、この当時は幕府から酒造制限令が出されていたこともあり、活発に酒造を行っていたとは言えないようだ。(脇坂俊夫『三草藩の研究』)
5 請山(うけやま) 江戸時代、他村の持つ山林の草木をとることを許されて、毎年小作料を納めるもの。また、その山。宛山 (あてやま) 。請負山
6 千種清右衛門直豊 幕府勘定所の新田方役人、その後 享保7年(1722)畿内・中国の新田巡検使・普請奉行。加東郡内の新田開発を命ぜられ、青野原新田(限・加東市高岡)蜷子野新田(になごの・限加東市稲尾)の開発、その他の土木工事に心血を注いだ。(『新修加東郡誌』)
7 ありき。江戸時代、庄屋から寸民に対して触れ、寄り合い、夫役などを伝達する役。
8 農村の治安維持の任務を与えられていた者。