往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

ふるさと山国(やまくに)の今昔あれこれ25「村明細帳」にみる18世紀中頃の山国村 ④

続いて、川、溜池など農業水利関係の一覧が記載されています。

【川】

一 前の谷川 川長当村之内千弐百六拾間(2.29km) 川巾凡四間(7.2m)
但川上水(1)元当村境内山野之惣水流ニ而御座候
(当村の山野からの水を水源としている)

一 北之谷川 川長四百六拾八間(833m)   川巾凡四間(7.2m)
右同断
右弐ケ所之川筋洪水大破之節ハ御入用御普請被仰付候
(これら二ヶ所の川筋が洪水で大破したときは、これまで〈幕領時〉はお上が工事をされていました)

 

【溜池】    ※赤字の池については、所在地など不明。

 

一 □池(2)   溜池堤長八拾間 
分水 三分三厘三毛 東実村   
   壱分一厘一毛 松尾村
   五分五厘五毛 山国村
伏樋(3)壱ケ所 拾八間 内法五寸四方
立樋(4)長弐間一尺内法五寸四方 笠木・脇柱・扣木 有

 

一 □池(5) 溜池堤長百弐拾間   分水 六分一 松尾村 
                                     六分五 山国村 立会
伏樋 弐ケ所 長拾七間半 内法五寸四方
              長九間半    内法五寸四方
立樋 弐ケ所 長弐間一尺 内法五寸四方 
              長八尺    内法四寸四方 笠木・脇柱・扣木 有

 

一 中尾谷池 堤長廿六間山国村用水
伏樋 壱ケ所 長三間半 内法四寸四方

 

一 惣太夫(6) 溜池  堤長拾九間
伏樋 壱ケ所 長五間 内法五寸四方
立樋 長壱間 内法四寸四方 但扣木有 

 

一 原田池 堤長弐百間    同村
伏樋 弐ケ所 長五間 内法五寸四方
              長四間  内法四寸四方
立樋 長四尺 内法四寸四方 

原田池から青野ヶ原台地に沈む夕日を見る(「ふるさと加東の歴史再発見」)

一 口之森 溜池  堤長六拾間    同村
伏樋 弐ケ所 長拾弐間 内法四寸四方
              長四間  内法四寸四方
立樋 弐ケ所 長弐間一尺 内法四寸四方 
              長三尺  内法四寸四方 鳥居建

 

一 口之森下池(7) 溜池  堤長廿八間    同村
伏樋 壱ケ所 長七間半 内法四寸四方


一 下り藤 溜池 堤長六拾間    同村
伏樋 弐ケ所 長拾弐間 内法四寸四方
              長四間  内法右同断
立樋 壱ケ所 長弐間壱尺 内法右同断 鳥井建

 

一 更池(8) 溜池 堤長五拾六間    同村  
伏樋 三ケ所 内長三間半 内法四寸四方
               長四間  内法右同断
                長弐間半 内法右同断  鳥井建
立樋 弐ケ所 内長三尺 内法四寸四方 
                兆八尺  内法右同断

 

一 はす池(9) 溜池 堤長九拾八間    同村  
伏樋 壱ケ所 長四間 内法五寸四方

 

一 四ツ池(10) 溜池 堤長三拾間    同村  
伏樋 壱ケ所 長三間 内法四寸四方
立樋 壱ケ所 長四尺 内法右同断 

 

一 烏谷池(11) 溜池 堤長拾四間    同村  
伏樋 壱ケ所 長五間 内法四寸四方
立樋 壱ケ所 長壱間半 内法右同断 

 

一 水溜池(12) 但溜渕  同村  

 

一 いか谷上之池(13) 長百拾六間    社村用水池  
                      横六拾間

 

一 いか谷下之池(14)  長七拾四間  
                        横三拾八間 同断

 

右弐ケ所ハ社村御普請所山国村境内ニ有之候二付、当村御検地帳ニ載リ申候、右池下ニ当村田地御座候時用水懸申候、池水落切候得ハたり水ハ当村斗取り申候

 

池水〆拾五ヶ所 御入用御普請所(15)
内 壱ケ所ハ 山国村東実村松尾村立会
    壱ケ所ハ 山国村松尾村立会
    弐ケ所ハ 社村御普請所
    拾壱ケ所ハ山国村分

以下の樋、水路については省略

(注)
1 実際は王子が池から流れ出たと思われる。同様に「北之谷川」は下り藤池から。  
2 村々の立会の比率から、王子が池の上に元禄2年(1689)に築造された「新池」(現在はさらに上に奥新池が築造されたため、「中新池」と称している)

3 湖沼や池から引水するために水底や堤の地下に横に伏せる形で設置される。
4   溜ため池の堤に縦に設けて用水を引く尺八形をした樋。穴をいくつかあけ、穴栓を上下させて水量を調節する。
5 堤の長さ、分水の割合から「王子が池」である。
6 原田池のすぐ南あたりが字「惣太夫谷」だが、明治43年(1919)の地図には見当たらない。
7 口ノ森の下ということから、現在の「キレ池」(切れ池)のことか。
8・9・10  明治43年(1919)の地図には見当たらない。
11 字「烏谷」に隣接する「奥谷池」のことか。 
12 不詳
13 嬉野地区開発の際に埋め立て。
14  下猪ケ谷池

 

現在、加東市のため池台帳(データベース)には山国区長が管理し、地区内の農業用水用のため池が10ヶ所あります。
そのうち王子が池は、流域面積が広く、貯水量150.000立方メートルと地区内最大のため池と言うことになります。その流域には西隣の松尾地区、東実地区の一部も含まれています。(原田池の方が面積は広いのですが、こちらは王子が池に比べてずっと浅い池です)
これらのため池がいつ築造されたのかはほとんどが不明で、はっきりしているのは元禄2年(1689)の中新池ぐらいです。
王子が池は、中世以前に存在していたとされています。また、いずれ取り上げますが、築造にかかわる伝説があります。

一時ほどではありませんが、その方面の雑誌か何かで紹介されたらしく、山国のため池ブラックバスブルーギルなどを釣りに来る輩がいます。もちろん、区長名で「魚釣り禁止」の看板が立ててありますが、そんなことはお構いなし。
そうした情報誌の中には、ため池を「野池」と表現して、いかにも自然に出来た大きな水たまりであるかのような表現をしているものがあるようで、呆れた話です。