往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

ふるさと山国(やまくに)の今昔あれこれ14 特攻隊長・藤本勇氏のこと ① 

前々回の投稿で大叔父・故準一氏のことを少し書きましたが、氏の竹馬の友であり、旧制小野中学校の同級生でもある(故)藤本勇氏の経歴・戦歴などを少し詳しく書いてみたいと思います。

 

昭和9年(1934)3月、社尋常高等小学校(現・加東市立社小学校)卒業

昭和14年(1939)3月、兵庫県立小野中学校(現・小野高等学校)卒業

同年・12月1日、江田島広島県)の海軍兵学校入学

海軍兵学校生徒館(現・海上自衛隊術科学校幹部候補生学校

※71期生(志願者8,164・身体検査合格5,533・学科合格1,643・入校601・倍率14・卒業581・戦死 329 :57%)
この期には兵庫県内の8つの中学から19名が入学していますが、小野中からは藤本氏ただ一人でした。

 

海軍兵学校時代の藤本勇氏(故・藤原準一氏のアルバムより、二種夏用の制服)

海軍兵学校第73期クラス会委員 編『海軍兵学校第七十三期期会名簿』,73期クラス会事務局,1965.

『同期の桜 海兵七十一期』続(七一会,1985.5)という書物に、在学時の藤本氏の思い出を綴った文章があります。

藤本君とは四号(四号生徒=一年生)時代、一二分隊で机を並べ、飛行学生でも同期であった。立派な体格で態度は厳正活発 、真面目で真剣、率先難に当たる模範生であった。関西訛りながら歯切れの良い姓名申告が懐かしく甦る。敵空母に体当たりの特攻には鬼神も泣く壮挙、真友藤本君を称え英霊の御冥福を祈る。(鬼塚美雄)

 

 

(当該のページ、飛行帽姿の藤本氏)

海兵71期生の卒業記念写真

昭和17年(1942)11月14日、第71期卒業(581名)

卒業後、少尉候補生として、戦艦扶桑、軽巡洋艦夕張に乗り組み、候補生教育を受ける。

昭和18年(1943)1月から霞ヶ浦航空隊において第39期飛行学生としての教育を受ける。

(71期卒業生の半数近い273名が航空畑に進んだ。うち58名が霞ヶ浦へ)

昭和18年(1943)6月、少尉任官、福岡県の築城(ついき)海軍航空隊 配属

昭和19年(1944)3月15日、中尉任官、第553航空隊*攻撃第102飛行隊に配属

(*戦闘機の搭乗員の教育を推進するため、生徒・学生・練習生への実機練習を推進した)