往事茫々 昔のことぞしのばるる・・・

古希ちかくなった暇なオジさんが、あれこれと折にふれて思い出したことや地元の歴史などを書き留めていきます

ふるさと山国(やまくに)の今昔あれこれ64 加茂神社(かもさん)

今回は地区内にある、いずれも旧無格社である三社の一つ、加茂神社についてです。

ぽかぽか陽気に誘われて、訪れてみました。

以下は、『加東郡誌』(1923年)からの抜粋です。

社名:加茂神社  祭神:別雷命(1)     所在地:山國字ババ一三六四番地
境内坪数:237坪

(2024年11月21日 筆者撮影、以下の写真も同じ)

(石灯籠には文政9年:1826年とあります。熊野神社のような狛犬はありません。)

当地区を南北に走る県道85号加東神戸線が国道372号と交わる「山国」交差点の南東方向の高台に見える森が、加茂神社を取り巻いています。(下の写真)

(筆者所有の田んぼから南方に見える加茂神社の森)

境内の標高は約77mで、十数メートル下を県道85号加東神戸線が通っています。

子どもの頃から、通称「かもさん」と呼んできたこのお宮さんですが、熊野神社(通称:ごんげんさん)とは違い、ここで遊んだ記憶はほとんどありません。
子どもたちが小さい頃、落ち葉の季節になると、ドングリの実などを拾いに何度か来たことはあります。

 

さて、この神社はいつ頃に創建されたのでしょう。
『ふるさとやしろ』社町老人クラブ連合会、1993年)という書物の中に、当神社の拝殿改修工事が行われた昭和62年(1987)当時、区長を務められていた故・田中哲二氏が氏神様を知る墨書銘棟札」という一文を寄せられています。
それによると、古い棟札(2)には寛永2年」(1625)と記されており、正徳5年(1715)に再建されたとも記されていたそうです。
また、水盤には寛文4年(1664)と刻まれていたようですが、残念ながら今では読み取れなくなっています。
寛永年間と言えば、徳川三代将軍・家光の頃で、当時の山國村は幕府領(3)でありました。
素人が断言できるものではありませんが、地区内三社(熊野・八坂・加茂)のうちでは、最も古い創建ではないかと思われます。

 

熊野神社は、地区西部の8つの組(隣保)が毎年交替で祭礼を担当したり、毎月の清掃などを行ったりしています。
加茂神社については、地区東部の組の方々がお世話をされています。
なお、地区内の三社ともに、いわゆる「村の鎮守」(戦前の社格では最下位の「無格社」)であり、祭礼時には加東市下久米にある住吉神社の今泉宮司さんが来られています。

 

ここからは余談です。

前掲の加東郡誌』には、旧加東郡(現・加東市と小野市)内の神社を、県社(当時)の佐保神社から、郷社(8)、村社(45)、無格社(158)と合わせて212もの神社名が記載されています。

見ていくと、住吉神社が最も多く、ついで八幡神社、大歳(年)神社なども多いようです。

ところが、「加茂神社」は当地区の1社のみとなっています。

 

「全国のお寺と神社」(https://jpinf.boo.jp/Loli4Buk/Shrine/SameShrn/RankShrnN001.html)によれば、全国で最多は「八幡神社」(約4800)ですが、賀茂神社は全国に179社(県内19社)で第50位となっています。

北播磨地区では、当地区の加茂神社のみのようです。

いったい、どういう理由からなのでしょうか?ちょっと興味はありますが・・・。

 

 

(注)
1 「わけいかずちのみこと」 
 兵庫県神社庁ホームページでは、「別雷神」(ワケイカヅチノカミ)
「別雷神」とは「雷を別けるほどに強い力を持つ神」という意であり、古来より厄除・災難除け・必勝の神として信仰されているそうです。

2  寺社・民家など建物の建築・修築の記録・記念として、棟木・梁など建物内部の高所に取り付けた札
 3 その後、一時期は下野烏山藩稲垣氏領であった時期を10年間(1713~1722)を除き、寛保2年(1742)から幕末まで三草藩(丹羽氏1万石)領でした。